森田療法 論文アーカイブス7

森田説における二、三の問題点
〜特に神経質者の自我の問題と「気づき・気づかう」心性について〜

藤田千尋(精神科医、常盤台神経科・院長)
©Chihiro Fujita 2012



はじめに
  本題に入るに当たって、まず森田説について私の所思を明らかにしておきたい。
 ここで言う森田説とは、森田療法の治療システムと、その対象となる神経質(神経症、不安障害)の病理についての森田の見解を指す。そしてそれは人間の生き方に関わる諸現象についての、森田の精神医学と人間理解が、その基本となっていることは言うまでもない。
 これに準拠することは森田が辿った道を追従するだけではなく、森田が求めたと思われるものを目指して研鑽を重ねることであると私は考える。
 そして私に与えられた課題は、臨床経験に基いて、これらを普遍的な認識へと導くことである。つまりそれは、日本独自なものに留まらず、普遍的に外に啓かれたものでなければならないという認識である。

 私はまず、次のことから考察を進めたいと思う。それは、森田療法が他の精神療法から初めて正当な批判を受けた時点に立ち戻り、本考察の原点とすることである。
 それは1952年、カレン・ホーナイが来日し「新しい精神分析学の発展」と題する講演をしたときに遡る。その折女史は、森田療法について、次のような印象を述べている。

「森田療法が患者の単なる知的理解とは異なり、直接に人間の自我中心的な殼を打ち破り、患者の情緒的体験を深める上で強力な治療法であるという印象を受けた。そのことは、目本の長い伝統に関わるものと思われる。
 また、神経症者のパーソナリティの核心が真の自己からの乖離であり、誤った自我中心主義であるという理解から、直接これに照準を向ける着眼点が神経症の強力な治療法であるとすることに意見の一致を見る。
 しかし、もとより自我の観念に関しては、伝統と文化の相違により差異があることは論を俟たない。したがって、相互の理解をより深めるに当たって、人間性に関する相互の知見の交換や補足が必要である」
(註1)

 ホーナイの以上の記述をここに引用した理由は、戦後間もない時期に、森田療法が異なった文化の視点から、どのような点に接点があり、また関心がもたれるかに私なりの興味があったからである。
 今、ここではホーナイの指摘にある「自我中心的傾向」や「自我の概念」あるいは「人間性」に問題を限定し、神経症(不安障害)の概念やその発症をめぐる諸問題を検討してみたい。


Ⅰ 神経質者の性格傾向をめぐって

  1.自我中心的傾向について
 
  神経質者と話していると、次のようなことを聞かされることがある。

「自分がもし体に障害があれば、苦しいことには違いないだろうが、今の苦しみよりはいくらかましな気がする。体の障害は、人が見ても分かるし、同情もされるが、自分の苦しさは外目には分からないから、まるで理解されることがない。健康そうに見えて、そのくせ人のやれることができないから、かえって変に思われてしまう」

 また彼らは、次のようにも言う。

「並みになれればいい。世間並みになりたい。前はこんな苦しみはなかった。せめて前の自分に戻りたい」

 このような彼らの言葉の裏には、自分に引換え、他人はそれほどの苦痛もなく、気楽にやりたいことがやれるという身勝手な思い込みがあり、それと共に羨望と嫉妬の心が窺われるのである。
 この身勝手な自己中心化は、自分への惨めさを痛感すると共に自己への嫌悪感を募らせ、我が身の不運な境遇を嘆く。しかし、彼らは親や親のしつけを恨むことはあっても、他人や社会を攻撃することは少ない。
 むしろ彼らは、自己の保全と他人に受け入れられることを強く願うため、かえって防衛的に自己を隠したり、回避することになり、そのため他者との断絶を起こし、欲求不満と葛藤に苦しむ。
 つまり彼らは、自己の向上欲求を実現させる実際の努力より、自己の心身の劣等性や適応性のなさに腐心し、その不全感に拘泥する。
 そして彼らは、自己を低く評価する一方で、内面的にも外面的にも高い理想の自己像を描くため、この両者の格差に苦しみ、ますます彼らは心身の不全感にとらわれることになる。しかも彼らは、その苦悩が自分の中に発した矛盾であることに気づかないのである。

 こうした彼らの自己矛盾的葛藤を、森田説では彼らの内面に強い「生への力」が秘められていることを説く。
 確かに人間には、生成発展へと指向する生の力があることは、疑いのない事実ではある。しかし神経質者に限って、格別強いそれが内在するとは到底考えられない。それは、神経質者のもつ願望と、現実の事象との間に生じる「思想の矛盾」の現象が、彼らに強い「生の力」を印象づけているように思われる。
 またそれは神経質者に特有な執着、つまり、自己の不全な状態への「はからい・とらわれ」として表われてくる。
 そして、身勝手な保全欲求と、その願望が実現されない不満とでますます逃避的になり、誰にも理解されないという疎外感を強めていく。加えて、苦悩を背負った憐憫と、何かに依存してそれを解消しようとする期待で充たされる。
 ホ一ナイは、この自我中心的現象の意味を「真の自己」からの乖離と見立て、個々の症状よりも、この人格の陶冶に治療の焦点を向ける森田説に、自説との接点を見出した。

 一般に自己中心的といわれるこの現象は、通常は幼少時のもので、何ごとにも自分本位であり、他者意識は無論のこと自己意識も定かでない状態を指す。
 その思考の特徴は、注意が自分に集中されてはいるが、自分を明確に認知するわけではない。そのため、自分の思考と他人のそれとも十分に区別がつかず、自分と外界との間も混同されやすい。
 このように、いわば主観と客観の未分化から、幼児特有の自己中心的思考が生じる。例えば言葉や夢などの観念に過ぎないものが、事物として実在すると見なすように、主観を客観化して認知する傾向、つまり実念論の視点がそれである。
 しかし、このような幼児の自己中心的思考も、成長過程において次第に脱中心化が起こってくる。それは、自分と同じように他人にも注意を向け、相互の立場を考慮する間主観的認知へと統合されていくのである。(註2)

 以上のような子供の自我中心的思考と神経質者の自我中心的思考とは、類似性はあるにしても、対比されるべき性質のものではなかろう。
 青少年期に見られる自我中心性の思考は、自分の主張や独自性を発揮しようとするあまり、他人の気持ちや立場を考慮することが少なく、一途に自分の主張を実現させようとする傾向を特徴とする。そしてそのことによって、自分が孤立化し、自己実現の場を見出しにくいものにしてしまう。そこに強い挫折感や劣等感を経験し、絶望感を味わうことにもなる。
 しかし多くの場合、そのことが現実を直視する契機ともなって、自分の力不足や自己と他者との関係、更に社会に関わる自分の生き方を模索し始める。したがって、その方向は実際的な努カヘの行動として示され、成熟した脱中心化の過程をとる。
 これとは逆に神経質者は、自力で困難を乗越えるというよりも、自己や自己についての劣等性や脆弱性に、それらを克服できない不適応の原因があると考えがちになる。
 このような心の構えは、神経症(不安障害)の発症を促進する気分を醸成しやすい。したがって、知性の面では自分の現実回避の非を認めながら、感情面では生活の細事や平凡な心身の反応にも敏感となり、心は次第に内向化への過程をとる。


2. 神経質者の内向性格とヒポコンドリー性基調との関係
 神経質者、特に普通神経質型の多くは内向性格であり、それは遺伝というよりは、後天的に獲得された性格であると述べたのは、下田光造が最初の人である。(註3)
 この内向性について下田は、次のように強調する。

変質性気質を含まない純内向性格者の気質は正常であり、神経質の内向性格においては気質異常の存在は必要としない」

 下田はまた、高良武久が、神経質者の性格傾向は、

「内向的傾向と、これを超克せんとする傾向の複合的特徴があり、この内向性に桔抗する強い生の欲望があって初めて、神経質者に特有な緊張した葛藤状態が招来される」(註4)

 と考えたことを評価した上で、以下のように強調する。

「内向性に拮抗する性格こそ純内向性格者の示す本来の正常気質の現われである」

 このように下田は、森田が生来性、変質性の素質とした神経質性格を、後天的に招来された正常気質者の現わす純内向性の性格とした。
 しかし、神経質者の性格傾向が生来性、後天的の素質によって現わされたものかどうかは、二者択一的に判断できるほど単純ではなかろう。それは、人間の生き方に関わる多面的な意味を含んでいるからである。  

 下田の言う後天的という意味は、家庭環境やしつけ、あるいは教育の影響など、個人を取り巻くごく限られたものある。その中で下田の言う内向性の傾向が現われるためには、特殊な変質性気質の存在は必要なく、正常な気質者でも刺激の条件が準備されれば、内向性を現わす可能性があるとするものである。
 しかし、その説明によっても問題の真の解明は得られていないのである。またもし仮にそうであるにしても、類似の条件下で、なぜあるものは内向性の傾向を表わし、またあるものは表わさないかは、やはり依然として不明のままである。

 私はこれについては、次のように述べることに留めておきたい。つまり、神経質(症)者の内向性が、変質性素質か正常素質かを明確に論証し得ない限り、二者択一的に裁断することは、それほど意味のあることではあるまい。むしろ両者の移行は当然あり得ることを考慮すれば、敢えて二分することは臨床からは遠ざかることにもなる。

 神経質者の内向性についてのもう一つの論議は、森田の言うヒボコンドリー性基調との関連である。これについて森田と下田は、次のように述べているので両者を参照することにする。森田によると、

「内向性者は自己内省が強く、そのために自己の心身の不快感や異常感覚にも気がつきやすく、これを気にするので「ヒポコンドリー」 になりやすい。この傾向は、幼少時の養育、境遇によっても作られ、あるいは精神的外傷からでもこの傾向を助長、養成するものがあるから、必ずしも先天的素質に限って起こるものとは言えない。しかし、同じ境遇下で、同じ養育を受けてもこの傾向に相違があるのをみれば、これを境遇などの後天的な理由のみに帰することもできない。」(註5)

 以上のように森田は、ヒポコンドリー性基調を神経質の心性としながらも、それが先天的にも後天的にも表われ、そのいずれとも決しかねるものがある、としてあまり歯切れはよくない。
 これに対し下田は、この森田の見解とはいささか表現が異なる。
  彼によるとヒポコンドリー性基調は、

  「内向性格の強度となった状態である」

  と言う。
  要約すると、この内向性は、

  ① 本人の平素の性格であり、
  ② 平素は比較的軽度の内向性であったものが、ある原因、例えば学生の試験期に当たって一時高度になったものであり、
  ③ 平素は外向的でさえあったものが、強い恐怖体験、例えば眩暈、動悸などを契機として、健康に対する平素の自信が一気に崩れ、内向的になる。

 以上のように下田は、森田の見解と基本的に大差はないにしても、ヒポコンドリー性基調を平素の内向性格であると規定したことに考え方の明確さがある。その上で、内向性の軽度なものでも、また逆に外向性のものでも、環境条件の変化や、強い感動体験から高度の内向性傾向となり、ヒポコンドリー性基調が現象的に表われるとするものである。
 このように下田の記述は、森田と比較すれば、神経症(不安障害)の要因を内向性の性格とした上で、発症機転を明確に論じているところに特色がある。この発症機転については後述するとして、ここでひとまず森田のヒポコンドリー性基調について述べておきたい。


 3)ヒポコンドリー性基調は常態心理か
 森田がこのヒポコンドリー性基調をもって神経症(不安障害)発症の基本になる鍵と認め、1922年以降、これを神経症(不安障害)類型間の共通の現象と考えたことは周知の通りである。

「抑々ひぽこんどりいトハ、心気性即チ疾病恐怖ノ義ニシテ、人間ノ本性タル生存欲ノ現ハレナリ。サレバコハ総テノ人二存在スル性情ナリト雖モ、其程度ノ甚シキニ従ヒテ、精神的傾向トナリ、変質トナリ、益々神経質ノ複雑頑固ナル症状ヲ呈スルニ至ル」

 つまりヒポコンドリーとは、森田の記述にあるように、

「心気性すなわち疾病恐怖の意味をもち、人間の本性である生存欲の現われである。したがって、これは総ての人にある性情であるが、その程度にしたがって、精神的傾向、変質、そして症状というスペクトル的拡がりを示すもの」

 として森田はこれを理解していた。
 もともと「ヒポコンドリー」とは、病態をさすものであるが、森田の理解からすれば、常態(非病態)から病態への拡がりの幅を持ち、その存在があって精神交互作用と相まって、その病因が発動されてくる。
 しかもそのヒポコンドリーは神経質という生来性の精神的素質者に見られやすい現象であるという。
 しかし森田は、この現象が生来性とは別に、養育、境遇などの後天的な影響からも起こりうるとする。そうであるとすれば、たとえその現象が、森田のいう精神的傾向に留まるものであるにしても、神経症(不安障害)への発展の過程であることに変わりはない。
 つまり、ヒポコンドリー性基調説を神経症(不安障害)発症の原理的核心として問うためには、いささか矛盾があり、この際、森田説としての再考の必要があるものと私は考える。  

 しかし、森田も1924年以降は、この説から次第に人間の根源に関わる「生の欲望」と「死の恐怖」の概念を導入し、ヒポコンドリー性基調説に代えていったことは周知のとおりである。
 そのことは、森田が神経症(不安障害)の精神病理学的機制よりも、治療法そのものの確立に一層の関心を寄せていったと考える方が妥当であるかもしれない。

 森田説を通覧すると、当初の堅苦しいヒポコンドリー性基調の記述は影を潜め、その代りに、ヒポコンドリー性基調の語義である「ものを気にする」心性が「心の事実」として強調される印象が強くなる。
 「心の事実」を事実としてありのままに受け入れるか否かの心の構えが、治療過程において重視され、治療的実践で強調されてくる。
 「ものを気にする」心性は、一般に人がよりよく生きようとするに当っての自然な心の働きであり、環境条件によっては強化されやすくなる。そしてそれは、「死の恐怖」と「生の欲望」という生命の根源的現象として、発症か治癒かのいずれの過程においても、影響を示すことになる。
 森田がヒポコンドリー心性があって初めて、神経症(不安障害)への発展を促す精神交互作用の機序が生じるとしたのは、この「生の欲望」と「死の恐怖」の存在を起点に考えると理解しやすい。こうして「生の欲望」と「死の恐怖」の概念は、当初のヒポコンドリー性基調説に代って、森田療法において治療と病理の特殊な関係を構成することになる。


 4)素質と環境
 森田の時代の神経症論の基礎には、生来の体質や素質がその本質を決定するとの考えが大勢を占めていた。その意味で森田が、神経質者の「内向性格⇔ヒポコンドリー性基調」という一連の心性を発症の主因に置いたのは、卓見と言うべきであろう。
 森田はこれを次のように述べている。(註6)

「…性格の異常に強弱のある事は、勿論であるが、更に之に、環境と機会とが加って、この異常性格が、或は正常人となり、或は精神異常となるのである」

 つまり、森田が目指した目標は、生来の素質といえども、人間が生きていく過程においては、それがすべての決定要因とは成らず、必ず環境と機会という生きる状況の中で理解されなければならないということであった。
 この森田の人間についての理解こそ森田説における「素質論」の特徴であり、その視点にたって森田療法が構成されているとも言える。
 それは、患者が神経症(不安障害)の症状固定化の過程を続けるか否かは、自らの意志によって決定するという選択が、森田療法の治療構造の中に用意されているという意味である。
 それは、森田が「境遇の選択」(註7)と言ったように、自らの意志による運命の転換が期待される。それが不断の創造的活動の世界へと、自らを拓くことにもなるのである。

 今後の森田療法は、その意味から、心にとらわれを待つ人達が、自らの生きる意味とその方向の決定に当って、社会や文化の時代的な違いを超えた治療的役割を担う存在となりうるべきである。


Ⅱ「気づき・気づかう」ことをめぐって

 「気づき・気づかう」ことの意味とヒポコンドリー性基調との関係

 「ヒポコンドリー」について森田は、

「本来ものを気にするとかいう意味から起った語である」

 と述べている。そして「病を気にする」として、森田は心気症に含まれる多くの恐怖状態を挙げている。
 しかし、ここでは「気にする」こと、「気づかう」ことといった「気づく」という心の動き、つまり、「気づき・気づかう」心性と「ヒポコンドリー性基調」との関係に考えを向けてみたい。

 そもそも「気づく」とは、それまで意になかったことに思いが及ぶ、感づく、考え付く、という意味のもので、創造、推理、判断、あるいは、気づいたことから、その対象の意味を問う「気づかう」心性が生じてくる。
 その際、心が能動的に対象に向かえば、「気をつける」ことになり、対象側から影響を受けるときは「気になる」という心の構えとなる。
 このような「気づき・気づかう」心性は個人の意識に、今まで気づかなかった何かがふと立ち表われてくることから始まる。
 言葉を換えれば「気づく」とは、自己の意識にその対象を映しとり、それによって自己が限定されること、それは現実には新たな発見であり、驚嘆であり、疑問であり、また不安でもある。今まで気づかなかったことに気づいてくる自己展開の契機である。それは、自己発展と自己保全を含み、現実の状況に意味と方向をもって対応する働きである。
 人間はあるものを意識し、あることに判断を迫られながら日常に対応している。そのことは、人がその都度の状況を自らの事として受け止め、しかもそれがどのような性質のものであろうと、それに直面しながら生きていくしかないことを意味するものでもある。その姿勢を左右する契機が「気づき・気づかう」心性であるとも言えよう。(註8、9)

 以上述べたように、「気づき・気づかう」こととは、人間の普遍的で自生的な心性であることは明らかである。またその表現の一つであるヒポコンドリーも、その意味で自生的であり、個性的心性と言えよう。
 したがって、「気づき・気づかう」心の働きや「ヒポコンドリー」といわれる心の構えは、人間が現実に生きることに関わる自然な心の発露である。
 しかし何かに「気づき」、そのことにどのように「気をつかう」かは、個人に内包されるその都度の条件によって、その意味と方向は異なってくる。
 内向性格者は精神的に過敏、繊細であり、その上、内省的で、自我中心的にその一貫性を保ちたいという願望を示す。
 このような自己を生きていくためには、自分の状態や他人の思惑を気にし、気を使う配慮が生じるのは当然なことである。

 森田説での「ヒポコンドリー」と「気づき・気づかう」関係を以上のように考えてみたが、「ヒポコンドリー」が自分の内なる世界の意識性とするなら、「気づき・気づかう」心性は、自分が自分の内部世界に留まるだけのものではなく、外に向かう様態でもある。


Ⅲ 自我概念をめぐって

 1)森田説における自我とは
 
 森田説の特徴の一つは、神経症(不安障害)の苦悩について、悩む自我や治療に向かう主体的自我についての説明が明文化されていないことである。
 このことは、森田説に限らず日本の精神文化の一つの傾向であるかもしれない。それは、自我の主語的形式は隠れたものとなり、主体の働きを表わすものとして、その場の述語的意味に、重点が置かれるためであろう。目本語の特徴が主語論理というよりは、述語論理といわれる所以もここにある。(註10)
 しかし、「気づき・気づかう」心の姿勢とは、主体としての自我の対象へ向かう意識現象であることは、前章でも述べたとおりである。つまり、その働き手の主体と、働きかけられる客体とが、現象的には分離した相互関係を示している。いわゆる主客対立の関係である。  紛れもなく近代的自我観として、見るものと見られるものとの関係がそこにはある。


 2)森田説の人間観と自我と主観的態度
 では森田説では、その自我の働きをどのように捉えているのであろうか。森田説ではこれを「主観」とか「心の置き所」あるいは、「意識」ないし「自覚」として記述している。しばらく森田の記述に目を向けてみよう。(註11)

「主観若しくは体得という事は、感覚、気分にあれ、反応、行動にあれ、其物、其事柄自体の謂である」

 「自覚」または「意識状態」について、

「・・・刺激がある程度の強さ以上に達するとき、初めてここにある一定の感覚若しくは感情を起こし、自覚を生ずるようになる。」

 またこの自覚と刺激との関係を、森田は次のようにも考える。

「・・・之を刺激の方面より観れば、刺激閾と名づけ、又自覚といふ方からすれば、感覚閾、又気がつくという事から言えば、之を意識閾とも名づける事が出来る。」

 そして、この両者の関係は、

「・・・種々の条件及び事情によりて、その閾の高さが異なって、或場合には、些細な刺激にも之を意識し、又他の場合には、随分強い刺激でも容易に意識しないようになる事がある。この関係は、第一に身心の状況により、第二に刺激の性質及び強さによるの である」

 このように森田説における意識、あるいは自覚は、「気づく」という自我の働きのことでもあり、心身の状態であると理解される。そしてそれは次のような見解に到達する。

「・・・吾人の自覚つまり意識状態は、絶えざる精神活動の流転中に於ける局部々々に於て、其意識域に達した以上のものを自覚し、或は微かに、或は強く、或は直ちに忘却し、或は深く記銘に残るものである。この意識の絶えざる変転出没は、・・・彼の水車に当たる日光が、絶えず其局部を変化している事に例えてもよいかと思ふ」

 これは、人間が生きる行動の動機づけを、自然的な力の総合作用から流動的に捉えようとするものである。この点が森田説の人間観を特徴あるものにしている。

 森田説においても、自我、自己という表現はしばしば用いられる。しかし森田説では、自我は単に意識とか精神活動と表現されるに過ぎない。しかもこの意識もフロイトのような目的論に偏らず、単なる一つの状態として記述されるだけである。
 それは上述のように、その折々の精神現象の変化として把握される。
 さらにその現象は、絶えざる精神の流転活動となる。そして、このことは「ありのままの自己受容」と言うこともできる。

 森田説においては、自我は一つの意識状態であり、その折々の精神現象でもあり、また「気づく」という意味で自覚としても理解される。
 しかしこの自覚は、「自分の心の事実をありのままに正しく認識し、それを受容できる状態」を指す意味にも使われる。
 1922年以降、森田説が無意識の概念を積極的に排除するようになってから「真の自己」の認識を、自己意識の深まり(自覚)のうちに求めたのは、森田説確立の第一歩とも考えられる。


3)森田説におけるアイデンティティと自覚
  神経質者の求める心のアイデンティティは、近代自我、つまり、自我がもつ個人主義的、自律的思考に根拠を置くものではない。
 むしろ、森田説に見る個人の意識は、「死を恐れ、病を気にし、事に当って不安を抱き、時に矛盾や挫折感に拉がれながら、その一方では旺盛な好奇心と向上心を持ち、自己実現を願う」という悩みの多い自己である。
 そして近代自我が、その支柱を「思考」の自律性に求めたとき、心の自然性に逆らって思考による操作が始まったのである。
  森田説の「思想の矛盾」はこの好例であり、近代的個人主義の落とし穴とも言える。この状態が、神経質者の「はからい・とらわれ」という「自我中心的心性」である。
  この矛盾に悩む個人に、真の社会的人間としての「自覚」を与える適切な「場」の具体的展開が森田療法である。(註12)

 自分がこの世界で唯一独自の存在であるとする現代の自我観では、対人関係は基本的に自己を生かす手段に過ぎないものである。
 これに反して、神経質者を含む日本人は、対人関係は決して手段ではなく、それは生きることの基本的な関わりとなるしかも、その相互依存的な間柄のなかで、自我は、その都度の状況に応じた自分として表われてくる。
 神経質者が治療に臨んでしばしば口にする言葉は「人並み」「世間並み」の自分でありたいということである。つまり、「間人」に生きていく自己を「気づかい」自己の実現を願うのである。(註13)
 このように西洋的自我と日本的自我の差異を踏まえて、森田療法は、どのような技法を用いれば、標準化(国際化)されるかが問われることになる。

 上述した西洋と日本におけるアイデンティティの差異からすれば、両者を同じように満たすことは、文化的脈絡から見ても無理なことになる。しかし、現実には森田療法による指導方法が有効に作用している事実を我々は見ている。それは、人間に内在する両義的統合の可能性を引き出し、そこから自然に生じてくる成長を促すことではなかろうか。
 そのことは、人間の生がある限り、どのような文化的枠組においても、共通の徳目であるように思われる。
 また、苦悩する心には、自己を自己たらしめる鍛練と、その「自覚」の意味を体得することが両者をつなぐ共通事項となるように思われる。
 そして、どのような形態にしても人間は自己実現の「場」で、社会的に是認されることが必要であることも否定はできない。
 たとえ他の文化圈にあっても、それぞれが目指す志向に差異があるにしても、それに対する普遍性のある治療技法も皆無とは思われない。
 それが何か、それはいかにすべきかは、現代の森田療法に委ねられる課題には違いないが、それだけに森田療法の現状は、かつてない局面を迎えていると言わねばならない。


Ⅳ 森田療法に期待されるもの

 おわりにかえて

 序にも述べたが、私はカレン・ホーナイの来日時(1952)の講演内容から示唆を得て、特に森田説の自我性と人間性を取り上げてみた。
 私自身はここを出発点として、今後とも森田療法に関わっていきたいと考えている。
 森田療法は近代において、多くの悩める自我を治療し、救済してきたが、これが現代における今も、それを果す役割を担っていることに変わりはない。
 しかし、正統な森田療法の現実が、危機と飛躍の両面を持つ転換期に直面していることもまた見逃すことのできない事実である。
 今ここでは、その詳細に触れることを避けるにしても、森田療法がその専門の治療施設、専門治療医、現代に即応する治療システムの確立など多岐にわたって検討を加えねばならない事態にあることに変わりはない。

 現代の森田療法は、本来の治療法と、それを基盤とする教育的ないし治療的アプローチを持つが、現在においては後者の活動が目立つ印象が強い。
 入院・外来を問わず森田療法固有の存在を、後者のアプローチではそれほど必要としないからであろう。
 ということはこの理由となる現象の裏には、二面の意味が隠されているように思われる。森田療法には、その特殊性に支えられた面とそれを超えた普遍性を持つ面があるということである。
 しかし、その普遍性があるからこそ、森田療法の特殊性が現代にも成り立つと私は考えるのである。

 一般には、文化的な体系は、それを担う人間の世代交代替にも拘らず、あまり損なわれることもなく、ほぼ同じ体系を保つと指摘される。(註14)
 森田療法もまた、その例外とは言えないだろう。それは、人間が「生を求め、死を怖れる」意欲が事実としてあるのであれば、これを基盤とする森田説の「生の欲望」と「死の恐怖」の概念から説かれる病理論、治療論もまた、人間の普遍的心理として了解される。
 換言すれば、森田療法は、生・老・病・死の四苦をありのままに受容する意識性と、その都度の境遇を選択しながら自らの生を尽くすという自我、つまり、より深い「自覚」へと導く方法を基本に持つものと言えよう。
 そして、その体系に見られる自我を具体的にするものが、人間にとって普遍的な「気づき・気づかう」心性である。
 「気づき・気づかう」心性は、森田説の「生の欲望」と「死の恐怖」の調和に基づく、現実適応性を左右する意識である。
 しかし、その意識は「生の欲望」がなければ具現されることはないし、また、「気づき・気づかう」意識が作用しなければ「生の欲望」も触発されないままに終るかもしれない。
 この特性こそ世代を超える具象であり、苦悩する人の「自覚」を深める過程は、それにそって展開されている。
 それが森田説やその治療の基本的様式として継承され、他の文化圏も含め、今後もなお、それぞれに適した技法が得られるとすれば、現代の悩める自我の救済に、重要な役割を提供しうるものと私は考える。

 最後に次のことを付言して終りにしたい。その第一は「気づき・気づかう」意識性と「ヒポコンドリー」との関係である。
 それは、この「気づき・気づかう」の意欲度が、一方では発症の方向へ、また他方では「自覚」の方向への二方向を分ける契機となること。
 そして第二は、森田説が現代において、なお一層啓かれるためには、その人間性の理解が、「自我」の内部世界に留まることなく、共同体的ないし普遍的自我性へと拡大するような認識までに高まることの願いである。それは、「真の自己」の認識あるいは「自覚」についての自在性は、もともと森田説に内包されているからである。






脚註

註1 K.ホーナイ:新しい精神分析学の発展  日本医事新報(1491号)、25-27、1952
註2 J.ピアジエ:知能の心理学.波多野・滝沢訳、231-233、みすず書房、東京、1989
註3

下田光造:神経質雑記、神経質、14(4)、124-132、1939

註4

高良武久:神経質の問題、精神経誌、42 、 755-796、1938

註5

森田正馬:森田正馬全集(Ⅰ)白揚社、東京、180-181、1985

註6 森田正馬:森田正馬全集(Ⅲ)白揚社、東京、417、1985
註7

森田正馬:森田正馬全集(Ⅱ)、白揚社、東京、338、1985

註8 藤田千尋:「ヒポコンドリー性基調」の再考.森田療法室紀要(3)、55-65、1981
註9 C.Fujita : Morita’s Thought and lts Cultural Matrix. 28-40、 in Morita Therapy. IGAKU-SHOIN、Tokyo、1986
註10

時枝誠記:国語学言論続編.岩波書店、東京、1955

註11 森田正馬:森田正馬全集(Ⅰ)白揚社、東京、300-301、339、1985
註12

 森田療法においては、入院の場合、治療的生活共同体としての生活空間は、治療者や患者相互の交渉を通して自覚へと促す場面を構成しやすい。特に社会的生活要素と感情融和的、家庭的生活の雰囲気を含む構成は、患者相互の役割意識を育てると共に感性に富んだ現実受容能力をも育てる。入院以外でも、治療者との相互の交渉の場は、自己が生きる実感としての場面となり、また今ここに自分が自分をあらわし、自らそれに気づく場面を構成する。

註13 浜口恵俊:日本らしさの再発見.76、296-297、講談社学術文庫、東京、1988
註14

D.W.プラース:日本人の生き方.井上 俊、杉野目康子訳、324、岩波書店、東京、1985



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