森田療法 関連用語事典

あ行


エスキロール
Jean Etienne Dominique Esquirol (1772 ~ 1840)
フランスの精神医学者。サルペトリエール精神病院において、ピネルと 15 年間共に仕事をしている。病院の設計に工夫を凝らすなど、医師・患者間の「友愛的交流」に努めた。
ピネルの弟子である彼は、ピネルの疾病分類に手を加え、近代精神医学をさらに体系化した。また、精神医療に関する近代的な法律を整備し(1838)、フランス精神医学を世界的なものにした人物と称されている。
「精神病の原因、症状および治療法としての情動」(1805)において彼は、精神病の原因を精神的なものとした(心因説)。鬱積した愛情、傷つけられた愛情、傷つけられた自尊心、憤怒、 嫉妬、驚愕、恐怖などの心理的苦痛が、精神病を引き起こすとしている。
同時に彼は、環境因子の影響を強調し、「各世紀の支配的観念が、精神病の頻度と種類に強く影響する」と主張。理論よりも臨床研究を重要視した。
エスキロールは、心因性精神病の父ともいわれている。



か行



カント
Immanuel Kant(1724 ~ 1804)
ドイツの哲学者、思想家。ライプニッツの自然哲学やニュートン力学に影響され、天文学に興味を持つ。やがて興味は、人間の精神にも発展していく。
主著「純粋理性批判」(1781)「実践理性批判」(1788)は、人間の思考を規定する理性と、 道徳や意志に関与する感性について、その限界を吟味する試みであった。そこでカントは、 さらに狂気の問題にも足を踏み入れていく。
カントにとって狂気(精神病)は、悪霊や神から賜るものではなく、身体を原因とする 病気でもなく、理性と感性の障害であった。

【カントによる精神病の分類】
 ①
心気症
 ② メランコリー
 ③ 熱性せん妄  
 ④ 発熱のない狂気


境遇の選択

森田のいう「境遇の選択」とは、患者の取るべき態度を意味するものである。言葉を換えれば、自らの境遇をどう選択するかの決断。
「このまま自分の思い描く(決して得ることのできない)理想の自分になろうとして、苦 しみ続けるのか? それとも、治療者のアドバイスを素直に受け止め、今は不安や苦しみは そのままにして、目の前にある、自分のやるべきことに手を付けて生活していくのか?」
治療過程で治療者は、このような患者自身の「境遇」にまつわる「選択」を患者に促して いくが、患者にとって「境遇の選択」は、それ程容易なことではない。



呉 秀三
日本の精神科医(1865 ~ 1932)。
日本における精神医学黎明期の支柱の一人となった精神科医。1890 年、東京大学医科大学卒業後、 榊 俶 教授のもと、精神医学を学ぶ。1897 年より 4 年間、ウィーン、ハイデル ベルグ、パリに留学。留学の後半は、クレペリンのもとで過ごした。帰国後は、東京帝国大 学教授として、精神医学講座を担当。当時としては最新だった、クレペリンの「精神医学教 科書・第6版」を使用して講義を行った。日本にクレペリンを始めとするドイツ精神医学の 紹介をした最初の人物で、日本ではこの影響が強く残ったといえる。
呉は大学教授と同時に、巣鴨病院(現・都立松沢病院)の初代院長も兼任した。無拘束看護、作業療法、治療教育、看護者の養成教育、精神病院の構造改善など、精神病者の人道的処遇を常に主張した。そして呉は、森田を指導した主任教授でもある。


クレッチマー
Ernst Kretschmer(1888 ~ 1964)
ドイツの精神科医。妄想論、体質・性格論、精神療法論など、独自の学問体系を打ち立てた。人の気質を研究し、類型学的に分類した。中でも性格分類は有名である。

【クレッチマーの性格分類】
  ①
神経質タイプ
  ② 粘着質タイプ 
  ③ 堅示質タイプ 
  ④ 偏執質タイプ 
  ⑤ 分裂質タイプ

主著「敏感関係妄想」(1918)では、敏感関係妄想が、特定の人格構造と葛藤状況から出現し、 人格、体験、精神病が一つの完結した全体を作ることを明らかにした。
またこの著作の中で、「多次元診断」を提唱する。「多次元診断」とは、精神疾患に働いているすべての因子を考察、分析すること。特に、脳の器質性因子、体験因子、性格因子、 環境因子などは、精神疾患の成立に欠くことのできない因子であり、発病だけでなく、病像 にも特徴を与えているとした。多次元診断は、クレッチマーの臨床姿勢の根幹といえる。


クレペリン
Emil Kraepelin(1856 ~ 1926)
ドイツの医学者、精神科医。フロイトと並んで、現代の精神医学の基礎を築いた人物。 1883 年、「精神医学教科書」(初版)を著すが、彼はそれを数年ごとに改定していく。
1913 年には 第8版を重ね、第9版は、彼の死去のため未完成となった。 この書籍で彼が改定し続けたのは、主に精神医学の体系化である。彼は、精神病について も他の身体疾患と同じように、原因、症候、経過、転帰、病理解剖の同一性を想定しようと した。また、遺伝的要因の可能性も示唆していた。つまり基本的には、精神病の病理を身体に帰する器質因・体質因論者であった。 彼は二大内因性精神病として、精神分裂病の原形となる早発性痴呆と躁鬱病を定義した。
現現在の国際疾病分類(ICD)や、アメリカ精神医学会の診断基準(DSM)も、クレペリン体系を出発点として組み立てられている。
森田の精神医学の師である呉秀三は、留学時の後半をクレペリンのもとで過ごした。このため、クレペリンの教科書による精神医学体系が、日本精神医学黎明期の主軸となっていたことは、自然な流れともいえる。


高良武久
(1899 ~ 1996)日本の精神科医。
1924 年、九州帝国大学医学部卒業。1929 年に東京慈恵会医科大学の講師となり、同年より根岸病院に勤務し、森田正馬の指導を受ける。1937 年、森田の後を継いで東京慈恵会医科大学教授となる。1940 年、「高良興生院」を東京に設立し、入院森田療法による神経症の治療を 1996 年まで行った。
高良は森田の直弟子であり、森田亡き後の森田療法を、継承・普及した中心人物である。
 慈恵医大で藤田千尋、阿部亨を指導した主任教授も、高良である。その他、多くの森田療法家たちが、彼の指導を受けた。森田療法、神経症、神経質に関する著作も数多い。専門は性格学。
著書に「性格学」(1931)「神経質並に神経衰弱の性格治療」(1933)「人間の性格」(1943)「人 間の性格~その解剖と改善~」(1951)、「神経質者の精神衛生~ノイローゼの本態と予防~」 (1961)、「どう生きるか~神経質を活かす秘訣~」(1978)など。

 

さ行

事実唯真 (じじつただしん)
事実にあらざるは、真にあらず。つまり、事実は変えることのできぬことであり、この事 実こそが正しい。藤田千尋は、生前、事実唯真について「(事実を)あきらかにし、そのままに受容すること」 と言っていた。


思想の矛盾
「かくあるべし」という理想の自己と、「かくある」現実の自己との間に矛盾が生じている こと。神経症(神経質)の特徴的な現象であり、森田が命名したもの。
内省的で、暗示性の強い人は、主観と客観、感情と知識、理解と体得とが一致せず、矛盾 した考えを持ち悩むことが少なくない。また、それに執着し、事実を誤想して苦悩する。
例えば、60 代の定年退職した女性。昔のように毎日イキイキと活動的な自分でありたい。 だけど今の自分は、身体の節々が痛んだりと、理想の自分ではない。同年代の人たちは皆 活発に毎日を送り、人生を楽しんでいるように見える。私はきっと何かの病気に違いない。
病院に行くと、特に病気だとは言われない。医者によると、60 歳を過ぎたのだから、若い頃と同じ量の活動は肉体的にできない。それが人間として当たり前のこと(事実)。身の 丈に合う活動をすればいい。しかしやはり彼女は、昔のような自分ではない自分を嘆き、なんとかしなければと、ドクター・ショッピングを繰り返す。
つまり彼女は、人間としての事実を認めようとせず、現実からかけ離れた「かくあるべし」 という、実現不可能な理想の自己を思い描いており、その矛盾に苦しんでいる。森田は、こ れを神経質病理の特徴的な現象と考え、この状態を打ち破ることを治療の原理とした。


下田光造
(1885 ~ 1978)日本の精神科医。 1911 年、東京帝国大学医学科を卒業し、呉秀三の門下に入る。慶応義塾大学教授(1921)、九州帝国大学教授(1925)、米子医科大学長などを歴任。 下田は、多数の患者の脳の顕微鏡研究を行い、てんかんについて器質的疾患と考えることはできないと主張した。また、うつ病の病前性格に関して、クレッチマーの「循環気質」に 反対して、「執着性格」を提唱した。
下田は、森田療法を大いに評価、絶賛し、自らも実施した。当時 異端視されていた森田療法の発展に、大いに貢献したことは言うまでもない。
また下田は、森田のヒポコンドリー性基調の先天性素質説に対して、後天説を主張した。

【後天説(下田)】
  ①
本人の平素の性格。
  ② 平素は比較的軽度の内向性であったものが、ある原因で、一時高度となったもの。
  ③
平素は外向的であった人が、重大な恐怖感動を起こした場合、動悸、失神、胸内苦悶などを契機として一気に自信が崩壊し、反対に内向的となる。


儒教
孔子を始祖とする思考、信仰の体系。
紀元前の中国に興り、仏教と道教とともに中国における中心的な哲学体系である。また、 東洋文化を形成する基盤ともなっている。
日本へ儒教が伝わったのは仏教よりも早い 513 年。百済より五経博士が渡日して伝えられたと言われている。
その思想は、五倫五常を基にした、自己修養による個人の道徳と社会の理想を説いている。 五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)は、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋 友の信を示し、五常は仁・義・礼・智・信の五つの徳を示している。
しかし、この五倫五常の思想が短絡的に政治へと利用され、統制のために悪用されるようになり、夫婦の別を男尊女卑に、長幼の序を単なる序列主義に捉えるなど、歪曲されてしまう傾向が強い。


朱子学
南宋の朱熹(1130 ~ 1200)が大成した新しい儒学の体系。新儒教とも呼ばれる。
朱熹は、従来の儒教に大胆な形而上学的新解釈を加え、朱子学を創始。宇宙の原理は、「理」 と「気」によって成り立っているとする理気世界観(理気説)を説いた。
人間は 生まれながらにして、天から与えられた自然の性(本然の性)、つまり天地万物の 法則である「理」をそなえている(性即理説)。しかしその一方で人間の実態、肉体は「気」であるから(気質の性)、現実的、物質的なことから完全に自由になることはできない。「気」 は「理」を曇らせることがある。だから敬を忘れず行を慎しみ、理を窮めて知を磨き、自己 修養の上に人格を完成させることが必要だとした。
日本には鎌倉時代に伝えられ,上下の秩序を重視しているため、江戸幕府を支える学問と なった。


シュナイダー
Kurl Schneider(1887 ~ 1967)
ドイツの精神医学者。ハイデルベルグ大学精神科教授。ハイデルベルグ学派を代表する人物。 ヤスパースを継承して、一貫して記述現象学、了解心理学的立場を取ったが、その基本的立場は、クレペリンと同じ、器質因・身体因論者であった。 戦後の主著「臨床精神病理学」では、クレペリンの提唱した「早発痴呆」を、ブロイラーの提唱した「分裂病」に置き換えた。また同じくクレペリンの「躁うつ病」を、「循環病」 という言葉に置き換えている。
シュナイダーの提唱した、精神分裂病(現・統合失調症)の「一級症状」「二級症状」などは、アメリカ精神医学会診断基準(DSM)にも、取り込まれている。


心気症
ヒポコンドリーの日本語訳。ギリシャ語で肋軟骨の下を意味するヒポコンドリオスという語を、2 世紀にガレノスが初めて病名として用いた。
器質的身体疾患(病気)がないにもかかわらず、自身の身体状態に対して、重篤な疾患(病 気)ではないかと悲観的に悩み、過度に心配、思い込みを抱き続け苦しむ状態。つまり疾病恐怖である。その結果、身体・精神・日常生活に支障をきたしてしまう。
神経症の一型である場合が多いが、統合失調症やうつ病などにもしばしばみられる。


神経質
森田は 現在の「神経症」を、「神経質」と「ヒステリー」に大別した。つまり「神経質」 は 大人のなる神経症で、「ヒステリー」は 子供または人格未熟者がなる神経症とした。
つまり森田は、「神経質」という言葉を、病態として使用している。しかし同時に、森田 自身もこの言葉を、病態ではなく性格素質として使っている場合もある。
森田療法においてこの「神経質」という言葉は、少々混乱を招く言葉である。森田のいう「神経質(病態)」と、現在の「神経症(病態)」は、ほぼ同じである。しかし一般的に「神経質」は、性格素質を指す言葉であり、病態、病名を指す言葉ではない。 高良武久は、「神経質」という言葉は、性格素質と混同してしまうので、これを「神経質症」という用語に変えた。しかし、これには他の医師からの反対が多く、下田光造の提案により、「森田神経質」という用語に落ち着いた。
森田自身も、著書を出版するごとに病態としての「神経質」の分類が異なり、試行錯誤していた形跡がうかがわれる。


神経症
心理的な要因と関連して起こる心身の機能障害。心身に対する健康で当たり前な感情や感覚を、病的なものとして受け止め、必要以上に強く不安、恐怖する。一般にはノイローゼとも 呼ばれる。森田の時代には「、心気症」「、神経衰弱」などと呼ばれていたが、森田は「神経質」 と呼び、試行錯誤の末、以下の3つに大別した。

 ① 固有(普通)神経質:不眠症、頭痛・頭重、めまい、耳鳴り、感覚異常、疲労亢進、 脱力感、能率減退、胃腸神経症、書痙、記憶不良 など。
 ② 発作性神経症:心悸亢進発作、不安発作、呼吸困難発作 など。
 ③ 強迫観念症:対人(赤面・視線・正視・表情 等)恐怖、不潔恐怖、確認恐怖、縁起恐怖、読書恐怖、雑念恐怖、不完全恐怖、罪悪恐怖、吃音恐怖 など。

神経症にまつわる疾病概念は、歴史の中で今でも変遷しており、現在の国際医学概念 (DSM、IDC)では、神経症という診断名は採用されていない。不安障害、広場恐怖症、パニック障害、社会恐怖症、身体表現性障害、強迫性障害などという診断名になっている。


新儒教
朱子学と陽明学の流れなどを新儒教と呼ぶ。
朱子学は、従来の儒教に「理」と「気」を持ち込んで、コスモロジーや形而上学を欠き、 形骸化しつつあった儒教を一新させた。そんな朱子学の主知主義的、理想主義的傾向に対して現実主義的批判を加え、主体的実践を重視したのが陽明学である。
陽明学とは、中国明代の王陽明とその学派による新儒教学説である。朱子学の「性即理説」に対して陽明学では、心が理であるという「心即理」。生来の道徳的判断力を発揮せよという「致良知」。認識と実践を一致させよという「知行合一」。欲望を肯定する「無善無悪」などを唱えた。


精神拮抗作用
A を意識すまいと B を意識しようとすると、かえって A を強く意識してしまう。 一つのことを気にすまいと意識すると、逆にそのことを強く意識してしまうこと。 例えば人前でスピーチする時、あがるまい、あがるまいと考えると、逆にあがることを強く意識してしまう。また例えば、対人関係の中で、あまり相手をジロジロ見ないようにしよ うと考えると、逆に見てはいけない相手が強く気になり、チラチラ、ジロジロ見てしまうこと。


精精神交互作用
神経症の症状を発症させる仕組みの一つ。森田が命名したもの。
ある感覚に対して注意を集中させると、その感覚は強く感じられる。そして、強く感じられたその感覚は、さらに注意をその感覚へと向かわせる。結果、その感覚は、またさらに強 く感じられるようになる。その悪循環。
例えば、自分の心臓の鼓動に意識を集中させると、鼓動が強く感じられる。そのことが気 になり、さらに意識すると、さらに鼓動が激しく感じられる。そして、心臓もそれに反応し て、心悸亢進を起こしていく。


「生の欲望」「死の恐怖」
森田は最初、神経症の起きる原因を、ものを気にするというヒポコンドリー性基調による ものとしていた。しかし 1924 年、森田は このヒポコンドリー性基調を、「生の欲望」と「死 の恐怖」に言い換えた。
人間には、よりよく生きようとする欲望(生の欲望)があり、その欲望の裏には、それが 実現できない場合の恐怖(死の恐怖)がある。それらはコインの裏表であり、よりよく生きたいと強く思えば思うほど(生の欲望)、それが実現できない場合への恐怖も(死の恐怖)、 同じように増大する。
この両者による調和が崩れ、「死の恐怖」へと偏ると、不安の傾向が強まり、それを排除 しようとする葛藤(思想の矛盾)から「とらわれ」が生じる。
森田は、これらの現象を神経質(神経症)の心理を理解する基本の説明とした。森田療法 では、この「生の欲望」「死の恐怖」を、人間の自然な「心の事実」であると解釈し、治療面において重要な手立てとする。


禅思想
禅は、大乗仏教の一宗派。南インド出身の達磨が、中国に入り教えを伝えて成立したとされる。日本には鎌倉時代初期に伝えられ、武士や庶民などを中心に広まった。室町時代には 幕府の庇護下で発展し、以降、独特の発展を遂げた。曹洞宗、臨済宗などの宗派があり、座禅や公案などの修行によって、心の本性を明らかにし、悟りを得るとしている。
禅思想とは、「論理や雑念を排し、謙虚に自分を抑えて一つのことに専念し、それを極め、そのことにより悟りを得て、高い境地に達する」といった解釈が一般的で、宗教だけでなく、 日本文化全体に大きな影響を与えた。また、海外の文化人にも影響を与えている。
森田が禅語を多く引用したこともあり、森田療法と禅を同一視する風潮が現在でもある。 しかし森田はこれに反論している。



た行



デュボア
Paul Charles Dubois(1848 ~ 1918)
スイスの精神医学者。フロイトと同時に心因論を主張し、生活史を重視し、説得療法を行った。しかし、フロイトの理論には反対した。
デュボアは、シャルコーの行った催眠療法や暗示療法などを、非道徳で危険な手法だとし、「説得」を用いて患者の意思に呼びかけることを、理性的な手法だと主張した。そして、説得療法を積極的に行った。 説得療法とは、説得を主な治療手段とする精神療法の総称である。 森田療法も説得療法的要素を持つ精神療法であるが、説得そのものに直接の治療効果を求めるのではなく、説得によって患者の態度、生活の仕方などを変え、それによって患者に新 しい「気づき」をもたらそうとするものである。




は行



ピネル
Philippe Pinel(1745 ~ 1826)
フランスの精神科医。近代精神医学の創始者とも呼ばれている。1792 年、公立精神病院 ビセートルの医師として勤務する。そこで彼は、30 年以上閉鎖病棟で鎖に繋がれている精 神神経症患者と出会う。翌年、ピネルの働きかけにより、閉鎖病棟からの精神神経症患者の 開放が実現する。彼はその後 サルペトリエールの医師に任命される。ここでもまた、閉鎖 病棟の改善など、当時では画期的な改革を行う。一般に言われる、「ヨーロッパ近代に始まる精神病者の鎖からの開放」とは、ピネルから始まる改革である。
彼の方法は、人道的な心理学的臨床を重んじる精神医学医療であった。そして、盲目的に 薬物を使用することを排し、患者の衛生、食事、病院内管理、職員の態度、暖かい雰囲気の 大切さを強調した。人道的精神医学の創設者と称され、フランスの人道医療の礎となった。
森田が根岸病院で、患者たちに人間的な作業や、音楽などの娯楽を許し 人道的に接した 姿は、このピネルを連想させる。

【ピネルによる精神病の分類】
  ① メランコリー
  ② マニー(躁病)
  ③ デマンス(痴呆)
  ④ イディオティスム(強度の痴呆や混迷に近い荒廃状態)


ヒポコンドリー性基調
森田は、精神的に過敏な素質を特徴とする神経質(神経症)では、その人格の精神的基調 が、ヒポコンドリー性(心気的、気にし・気づかう)傾向を示しやすいことに着目した。そ してこれをヒポコンドリー性基調と名付け、神経症発症の中核的概念とした。このヒポコン ドリー性傾向は、内向性性格傾向ともいえる。つまり神経症素質説である。しかし、この定義は曖昧で、下田光造は、「素質もさることながら、幼少期の環境的な因子によっても大い に影響される」と、後天説の可能性を指摘した。森田は、これをいったん認めながらも、晩年にはやはり素質説をとった。
森田の没後、高良武久は「適応不安」という言葉を使って、これを説明しようとした。 「ヒポコンドリー」という用語は、もともと「心気症」という病態をさす用語である。森田が、病態を指す言葉を、素質を指すことに使用したことに、そもそもの混乱の原因があると、藤田は指摘している。


ビンスワンガー
Otto Binswanger(1852 ~ 1929)
スイスの精神医学者。彼の実施した「生活正規法」は、森田も参考にし、日本流に変えて 実施を試みたといわれている。

 【ビンスワンガーの生活正規法】※出典1
  第1週
  ① 起床後  一杯の牛乳、スープを飲み、後散歩。
  ② 9:00    卵、パン、バター
  ③ 9:30    マッサージ(下腹部、胸部、頸部)
  ④ 10:30    温水摩擦 後、11:00 まで就床。
  ⑤ 12:00  スープ、野菜、肉、果物を食し、1時間休憩後に園芸、散歩。
  ⑥ 17:00   牛乳、パン
  ⑦ 18:00    温浴(隔日)、または湿布包装法(4日おきに休み)
  ⑧ 19:00    パン、バター、スープ、暫時休息後、運動。
  ⑨ 22:00  就床

  第2週以降    
  マッサージの代わりに、摂氏35度の温浴に入れ、または戸外運動をさせる。

  第4週    
  患者としては扱わず、客人のように自由を与え、十分の食物、肉類、野菜を食べさせ、1日おきにビール、時には、1杯のワインを与える。

  第5週
  治療の1期の終了。帰宅させ、その後も大いに運動させる。

森田は、生活正規法のような厳しい生活規定を排し、普通の生活の中で治療しようと試みた。

出典1:「大原健士郎選集1 神経質性格、その正常と異常 森田療法入門」星和書店

 
 
フロイト
Sigmund Freud(1856 ~ 1939)
オーストリアの神経学者、精神分析の創始者。1881 年ウィーン大学医学部を卒業。最初 にフロイトが興味を抱いたのは神経疾患である。 1885 年、当時パリで高名だった神経病 学者シャルコー のもとに 5ヶ月間留学する。そこで彼は、催眠を研究するかたわらヒステリーの問題に関心を寄せた。
帰国後、開業したフロイトは、ヒステリー患者の治療で催眠法を使用する限界を感じ、リ ラックスさせた中で、患者に自由に心の葛藤を語ってもらう「自由連想法」を基にした「精 神分析療法」を創始する。幼児期体験、性的虐待の体験など、幼年期の体験が外傷となって ヒステリーが起きるとし、無意識に封印した内容を、身体症状として表出するのではなく、 回想し言語化して表出することができれば、症状は消失するとした。
同時に彼は、神経症にも関心を寄せた。神経症症状は無意識に意味を持つこと、性的病因(性 的外傷)説、リビドー、エディプスコンプレックス、治療者に寄せる患者の感情転移、転換、 死の本能、など、精神分析の基礎概念と技法を用いて、神経症の治療を行った。
「精神分析」とは、彼のそんな治療原理を基にした、治療技法(自由連想法、夢分析など)、 精神療法である。
著書としては『夢判断』(1900)、『精神分析入門』(1917)、『続精神分析入門』(1933)、『精神分析概説』(1938) などが有名である。
彼の影響は、精神医学の分野だけなく、シュールレアリズム芸術運動など、芸術、文化などにも多大な影響を及ぼしている。


ブロイラー
Eugen Bleuler(1857 ~ 1939)
スイスの精神医学者。ライナウ州立精神病院院長(1886 ~ 1896)、チューリヒ大学精神科 主任教授(1898 ~ 1927)。
クレペリンの提唱した「早発性痴呆」を肯定しながらも、主著「早発性痴呆または精神分 裂病」で、「精神分裂病」という疾病概念を提唱した。現在の「統合失調症(分裂病)」概念 の創始者である。
ブロイラーは精神分裂病を、精神機能が統合して働くことの障害であると考え、分裂という用語を用いた。そして彼は、精神分裂病の症状を、基本症状と副次症状とに区分。また、 疾患過程から直接生じる一次性症状と、患者の心理が疾患過程に反応して生じる二次性症状とに分けた。
ブロイラーは、当時 異端児扱いされていたフロイトを、アカデミックな立場から最初に 擁護した人物である。自身の弟子であったユングを、フロイトの基に送ったのもブロイラーである。主著は「早発性痴呆または精神分裂病群」。1916 年に刊行した「精神医学教科書」 は、ヨーロッパにおける代表的な精神医学教科書となった。


ベアード
George Miller Beard(1839 ~ 1883)
アメリカの精神科医。自身の青年期に、後に提唱することになる「神経衰弱症」に悩んだという。イェール医学校、ニューヨーク医学校で医学を学び、主にニューヨークで活動をした。
当時、頭脳労働者の間に、神経系の消耗が原因とみられる、慢性機能性神経疾患が多発していることに注目し、「神経衰弱症」として提唱。
産業革命以降の社会変化に伴い、市民の生活が、神経系に著しい負荷を与えるライフ・スタイルに変化したため、「神経衰弱症」が多く発生していると主張。そして生涯、その疾病概念の普及に務めた。
「神経衰弱症」の主な症状は、疲労感、頭痛、不眠、肩こり、耳鳴り、めまい、知覚過敏、注意力散漫、被刺激性亢進など。
学術的には不正確だと批判されたが、日本では、俗称として多く用いられ、流行語になった。
森田は、この「神経衰弱」と呼ばれる患者に、十分な休養を取らせたり、栄養剤を投与し たりして治療をしてみた。しかし 一向に症状が消失しないことに、大きな疑問を抱いた。そして森田はこれを、神経が衰弱したから発病したのではなく、症状と考えているものは気 分であり、神経症(神経質)的主訴だと解釈した。
ベアードの神経衰弱の症状は、森田のいう普通神経質の症状にすべて含まれてしまう。


ベルクソン
Henri-Louis Bergson(1859 ~ 1941)
フランスの哲学者。対象を知性をもって外側から分析する科学的方法のみでは、事物の真 相に触れることはできないとし、対象そのものを共感する「直感」を、実在把握の方法として主張した。また、人間生命には不断の創造的な進化を志向する力が内在しているとし、生 を知性では捉えきれない、非合理で根源的なものと解釈した。
ニーチェ、ショーペンハウアーに始まる「、生の哲学」の影響を受けているといわれている。 主著は、「時間と自由」「物質と記憶」「創造的進化」など。 ベルクソンの思想、そして彼の提唱した「エラン・ヴィタル(生命の躍動)」は、多くの研究者に、森田の思想との類似性を強く指摘されている。 森田自身もベルクソンについて言及しており、当時の森田も、ベルクソンの思想に関心を
寄せてたことがうかがわれる。森田は、こう述べている。
「・・・すべての人間の生活は、絶えざる活動であると言えよう。それは 『動物』という名称ができた理由である。さらにそれを価値判断の方向か ら見るならば、『人生は創造』であり、『日に新たに、また日々に新たな り』と言われるように、絶えざる進歩であり、前進である。ベルクソンの 言う『創造的進化』もこの意味を含んでいるのである」※出典2

※ 出典2  出典:森田正馬「生の欲望」白揚社


本然の性
すべての人が平等に持っているとされる、天から与えられた自然の性。
「朱子学」を参照。



ま行



松原三郎
(1877 ~ 1936)日本の精神科医。
東京帝国大学卒。アメリカに留学後、金沢医専 ( 現金沢大 ) 教授。後に松原病院を開設。 内分泌系、自律神経系機能の関連から、神経衰弱(神経質、神経症)の本態を、過敏性体質(過敏性体質論)によるものと唱えた。


ミンコフスキー
Eugéne Minkoeski(1884 ~ 1973)
フランスの哲学者、精神医学者。ロシア・ペテルスブルク生まれ。ミュンヘン大学で医学 を学ぶ。1914 年、ブロイラーの助手となり精神分裂病の研究を行い、フランスにブロイラー の分裂病概念を導入した。その後、スーラン精神病院院長。フランスの代表的精神医学雑誌「精 神医学の発達」の主任編集者でもあった。ミンコフスキーは臨床家だけでなく、現象学やベルクソンの影響を強く受けた哲学者、精神病理学者でもあった。精神分裂病の概念を独自の 立場から捉え直し、「現実との生命的接触の喪失」とした。
主著「生きられる時間」では、現象学と精神医学を融合、総合させようと試みている。


森田神経質
現在の神経症。森田は当時、「神経質」という用語で、現在の神経症にあたる病態を呼び、 また時に、性格素質のことも「神経質」と言った。混乱を招く概念なので、直弟子、高良武 久が「神経質症」としたが、多くの反対にあった。下田光造の提案により、「森田神経質」 という用語に落ち着いた。



や行



ヤスパース
Karl Jaspers(1883 ~ 1969)
ドイツの精神医学者、実存哲学者。クレペリンによる精神疾病学体系は、器質因・身体因 論に偏り過ぎていると批判した。
ヤスパースが支持したのは「了解心理学」で、正常心理では理解できないとされる精神病 症状の中にも、ある程度理解できるもの(了解可能)と、そうでないもの(了解不可能)と を区別することから始めていくとするものである。そういった姿勢の基では、患者の語ることを正確に記述し、その内容を現象そのままに受け止める必要がある、とした。これがヤス パースの言う「記述的現象学」である。ヤスパースは、この手法を用いて、患者の精神状態 を詳細に観察し、1913 年に、主著「精神病理学総論」を刊行する。
その他の著書に「、哲学」「哲学入門」「現代の精神的状況」「世界観の心理学」などがある。



わ行



ワイル・ミッチェル
Silas Weir Mitchell(1829 ~ 1914)
アメリカの神経医学者。1870年台初頭、神経疾患の患者のために、「ワイル・ミッチェ ル安静療法」を考案。それは、患者を隔離し、臥褥、ダイエット、マッサージを行うというもので、主に女性を対象に行われたという。
この療法には、フロイトやシャルコーも関心を寄せた。また森田もこの療法にヒントを得て、絶対臥褥を考案したといわれている。

 

◯藤田千尋著「森田療法 その本質と臨床の知」巻末より転載加筆


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