森田療法 論文アーカイブス 3

森田療法における治療者のあるがまま
〜不問と抵抗をめぐって〜

藤田千尋
©Chihiro Fujita 1998, 2012



 はじめに
 精神療法が人の心の触れ合いによって行われるものである以上、治療者と患者の関係は、どのような精神療法にとっても重要な課題であることに変わりはない。両者のあり様によっては、治療過程も予期に反したものとなり、その効果に及ぼす影響も大きい。
 精神療法は、一般の人間関係とは違い、ただ親しい交わりを良しとするものではない。治療者の技術的な力量、洞察力などをはじめ、感性の豊かさ、誠実さ、さらには忍耐強さなどの適性が問われることになる。

 治療者と患者の関係は、精神療法の構造や目的によっても違いが生じる。ある精神療法では、両者の関係が治癒過程を決定する要となり、またある精神療法では、治療(面接)の場面のみに限定されない。
 しかし いずれの場合も精神療法は、治療者が患者を完全に客体化することが不可能である限り、患者の抵抗やそれに対する治療者の態度は、両者に生じる自然な心の反応として避け難いものである。
 その意味において、精神療法そのものに限界があることは否定できない。(註13)
 
 精神分析療法など、治療者が患者の自己開示を客観化することを目標とする精神療法では、治療者=患者関係において生じる患者の抵抗や転移、あるいは治療者の逆転移の現象は、治療の成否の鍵となる事項として問われることになる。
 これと対照的な位置にあるのが森田療法である。森田療法では臥褥、作業という治療システムの中で、患者の忍耐力や克己力などの促進というような、性格の鍛錬が目標とされる。
 そして、「生活の場」における行動実践の促進や、患者自身の体得に重きが置かれるため、これまで治療者の態度が直接問われることは少なかった。 しかし実際には、治療者と患者の関わりが、治療に重要な役割を果たすことに変わりはない。
 昨今、森田療法においても いろいろと修正された治療的アプローチが行われる現状では、それに伴う治療者の役割が問われる必要性も、増加の傾向にある。したがって、治療者の態度が患者の認知や判断や行動、ひいては治療そのものに どのような影響を及ぼすかは重要な課題となる。
  以上の意味において私のできることといえば、森田療法の治療者の役割(註2)を通して、日頃 患者にどのように対応し、どのような経験を得ているかを狭い経験ながら、ありのままに述べることである。


 I 森田療法の特性と治療者の役割について  
 森田療法の治療方針は、患者の「とらわれの態度」を、彼らが真に望む生活へ態度変更させる、その実践努力を援助することにある。そして治療者は、臥褥に入る前と作業の全期間を通して、説明・説得・不問の技法を行う。私はこれらを総合して「説得的コミュニケーション」と呼んでいる。(註4)
 その実施は、治療者と患者との治療面接の場面である「治療の場」と、患者の日常生活の実践場面である「生活の場」において行われ、患者が今まで気づかなかったことを気づかす橋渡しとなる。(註4)それは、外来森田療法でも同様である。
 中でも「不問」(註46)という治療者の態度(技法)は、一般の精神療法に対比すれば特異的な関わりである。それは森田療法の全治療過程を通して行われるが、この「不問」という関わりの良否が、治療を実効性のあるものに導く一つの鍵ともなる。
 ひとまず、治療者の役割として、この「不問」に関連する事項を取り上げてみたい。



 1. 治療者の自己照明としての「理解」「受容」そして「不問」  
 一般に 精神療法の実施に当たって、患者のよい「聞き手になること」が治療者の態度である。しかし森田療法はこれとは趣を異にし、「聞き手になることをあえて断つ」と言える。例えば森田は、「病ではない」「治らぬと覚悟せよ」と、患者を突き放す。(註10)
 この態度は、森田が「治療ならぬ治療法」(註11)と言うように、いかにも型破りな表現に思われがちである。しかしそれは、治療者の権威性を表すものではなく、患者をまず「理解する」ことであり、しかも、彼らの症状を単なる病態と見なさないことに、その論拠がある。このことを次の知見から考えてみたい。

 かつて近藤章久は、森田療法の治療者=患者関係で第一にあげられるものは「理解」であると述べている。(註1)
 彼によると、この「理解」は、治療者自らが神経質(神経症、不安障害)の苦しみを通して得た個人的体験から始まるもので、それは、精神分析療法での教育分析に当たる。そして治療者が自らを照明した結果として、自然な心から患者の心情に共感し、理解することができるのであるという。
 そのことは、技法的に得られたものというよりも、精神療法を進める上の基本的な条件である「受容する」態度が、すでに治療者の無意識の中に存在していることを意味している。
 治療者の このような体験者としての理解は、森田神経質(神経症、不安障害)の病理に対しても、これを病態としてではなく常態として理解、受容する。そしてそんな治療者の態度は、患者の自己受容を後押しし、生活実践という体験を通して現実受容が起こり、さらにそれは自己実現へと発展すると説明している。
 この近藤説の要旨は、森田療法を行う治療者の多くが、自らが神経症(不安障害)の体験者であるという前提から、治療者と患者の関係に生じる「理解」と「受容」を論じていることである。そのことは、それで妥当な論拠と思われる。
 しかし、そうであれば尚更、森田療法の成立の原点に立ち戻って考察することで、森田療法における「不問」への治療的根拠を、さらに深く理解することができるものと私は考える。


 2. 「森田自身の心身の経験型」(註2)と「治療者即患者」の意識について
 森田は、幼児期から青年期を通して、夜尿、頭痛、狭心発作、胃腸障害などの苦痛に悩まされ、そのために中学2年の頃、1年間の留年をし、その後も脚気や腸チフスで留年を重ね、中学を卒業したのは22歳の時であった。
 大学時代も脚気、胃腸障害、狭心発作の苦しみで勉学もはかどらず、森田にとって、服薬は欠かせないものであった。
 当時の森田は 卒業も間近に控えて、学期末の試験を受けるか 補欠試験かで迷い、その心境はせっぱ詰まっていた。その上、折悪く父親からの送金が途絶えていたため、不安と恨みつらみの思いも重なり、森田の境遇は危機状態にあった。
 そのような時、一人の友人から、補欠試験は非常に不利だから止めた方が良いと忠告されたこともあって、死を覚悟して服薬を止め、思い切り勉強する決心をした。
 その結果は、森田があれほど恐れていた症状の増悪はないばかりか、試験の成績も意外に良く、 続く卒業試験もまずまずの成績で卒業できたのである。
 森田はこのように波乱にとんだ歳月を乗り越えたが、それは1902年、彼が28歳時のことであった。 この経験は、「森田自身の心身の経験の型」(森田自身の神経症体験、不問体験)とされ、その後、多数の臨床経験とともに、森田説や森田療法成立の基盤となったのである。
 森田のこの経験の中で、自ら意を決して服薬を止め、現実の生活に直面するという選択は、後に森田療法の治療原理を支える原体験として考えることができる。
 つまり、森田のその決断は、不安なままに自らを突き放し、現実の生活に直面するという選択であった。
 それは誰にも苦痛を訴えず、不問のままに自分に与えられている今の境遇を選択、受容するという自己決定の態度であった。
 その意味で、この「森田自身の心身の経験の型」は、森田がこれまで死をめぐる恐怖にとらわれていたものは、実はそれは、自分がより良く生きようとする生の力に相対する苦しみであることに気づく契機ともなった。
 つまり、「症状の苦しみをとることが自分のすべて」という絶対視を、自己向上欲求に相対するものとして受け入れ、客観視できる治療者らしさを身に着けるきっかけとなったのである。
 この森田の個人的な経験は、その後の臨床的な経験を通して、森田療法へと帰納された。
 治療者は、「治療者即患者」という「同じ体験を同じ感覚で分かち合える心情」を深め、患者は、森田自身がそうであったように、抵抗や反発という対立や矛盾の感情を越えて、自分を素直に開示するようになり、知らず知らずのうちに治療者に任せるという、自他受容の雰囲気が作られていくのである。    
 

 3. 治療者と患者とに生じる「しる」と「わかる」について(註3)
森田が治療者の役割の重要さを述べていたことは、彼の多くの記述からもうかがええる。「精神療法講義」の「患者の精神」の項(註9)では、治療者の留意すべき内容について、次のように述べているので、その要旨を紹介したい。

『治療者は何よりも患者の心持ちを深く徹底的に知らなければならない。また患者の心持ちになってやらなければならない。患者の表面的な言葉に惑わされず、患者の気分の根底にあるものを捉えなければならない。
 例えば、患者が不安を抱いて「先生、どうでしょうか」と問い掛けた時、治療者は、患者を安心させようとして冗談めかした口調で応じてしまうことが少なくない。しかしこの場合、多くは患者の信頼を得られず、かえって患者を不安にさせてしまう。
 この場合でも、治療者は常に患者の気持ちを受け止めて、真面目に落ち着いた態度で言葉少なくその状態を説明してやらなければならない。この説明は、個人の性情により、病状に従い、臨機応変に対応しなければならないが、これこそ治療者の工夫のいることであり、決して間に合わせのことを言うのは良くないことである』


 私は、この記述こそ治療者が留意すべき点であると思う。そして同時に、それが患者にも重要な意味を持つことになると考える。
 この記述は、「森田自身の心身の経験の型」と無縁ではなく、その後の森田には「治療者即患者」の意識が、治療実践において常に働いていたのである。 そして、治療者と患者の関係における「共感」や「理解」として、言葉の表現以上のものとして受け取られる。
 それは、技法的なものから得られるよりも、実際的なこととしての真実と深さがある。
 森田は、論語の以下の言葉をよく引用した。

『学んで思わざれば則ち罔し。患うて学ばざれば則ち殆うし』(註14)

 これは、森田療法の治療者と患者にとって基本的なことである。私はこれを次のように受け止めて自戒としている。
 
「治療者が患者の症状の病理を知ることに熱心であり過ぎたり、また理屈通りに、治療の型を患者に押し付けようとすると、患者の心はないがしろにされ、しかも、治療者がそのことに気づかないこともある。
 また、症状に苦しむ患者に共感し、受容しようとするあまり、患者の苦悩の性状を正しく理解することを怠ると、患者の真意を見抜けず治療方針を誤る危険さえある。
 それと同じく、患者が治療者の説得の言葉の表現に集中して、その内容の理解がなされず行動実践が伴わないと、森田説の知識にこだわるだけで、いつまでも体得が得られないままに終わる」

 論語の「学ぶ」と「思う」は、「しる」と「わかる」の違いにも深く関連している。
 治療者は日常の診療で、患者の訴える症状を診断基準に当てはめ、これを基に患者を理解したように思ってしまう。その理解が論語にある「学ぶ」すなわち「しる」ということに当たる。
 これに対して、苦悩する患者が真に望んでいるものは何か、どのような自分でありたいかを洞察し、少しでもその身上を思いやることから、その実体を明らかにしていくことが、「わかる」、つまり、真に理解することであり、それがまた共感であり、受容することにも通じるのである。しかし、それが過剰になると正しい治療からはずれる危険もある。
 治療者は、この「しる」と「わかる」という当り前の意味をわきまえて、初めて相手の立場に身を置いて患者を理解し、共感、受容することができる。その結果、患者は治療者を信頼し、自分を治療者に任せることができるのである。

 このことを背景にして、治療者による「不問」が実施され、患者は自らの境遇の中で、自分が本来やりたい事に対して、自分の力を素直に投入することを、患者自ら「自己決定」していくのである。


 Ⅱ 森田療法の「不問」と患者の抵抗  
 では、森田療法の治療に重要な「不問」は、治療の実際においてどのように展開されるのであろうか。


 1. 森田療法における「不問」とその前提条件  
  一般に精神療法の治療者は、患者の「聞き手である」ことに留意するのに対して、森田療法のそれは「一定の条件」のもとで、「聞き手であることをあえて断つ」ことであるといえる。それを支える前提条件は、以下の2点である。

① 苦悩する症状のすべては、よりよく生きようとすることに生じることである。患者はこれを人間性の事実として耐え、不安のままに、人としてやるべき実生活へと行動する。

②治療者は、症状に即して①を十分に患者に説明し、その上で、この治療を受け入れるか否かは、彼ら自身の選択(自己態度の決定)によって決めてもらう。

 治療中は、それが入院であれば、臥褥期間は無論のこと、各作業期のいずれも、患者は症状の苦しさを訴えることや、治療場面から逃げ出すことはできない。
 仮に患者が苦痛のあまり訴えることがあっても、治療者はそれに直接、答えることをしない。その代わりに、苦痛ながら実行している作業の現状をありのままに評価し、気づいたことはすぐに手をつけて、やり遂げていくことを促す助言を行うのである。
 患者にとっては、症状の苦痛は主観的な事実であるが、苦痛のままに「なすべきこと」がやれるとすれば、客観的にはそれも行動の事実である。
  そして治療者は、そのすべてを「ありのままに」受け入れるように教示する。
 このことは患者にとって、例え苦痛ながらも実行して得た、その都度の実行水準であり、その評価は、次へと励む手がかりとなるのである。
 このようにして治療者は、患者の作業の進め方に評価を加えたり、作業への工夫について具体的な助言を積極的に行うが、患者の苦痛の訴えは、あえて取り上げない態度をとり続けるのである。

 以上のように 森田療法の実際では、患者の症状を直接の治療対象とする対話は「不問」にする。しかし、それは対話の中断ではなく、患者がいったん自らの苦痛を突き放し、その苦しさに沈黙の「間」を置くことによって、自分自身と自己対話し、「自分に与えられた境遇」をありのままに引き受ける選択を強化することにある。
 M・ピカートは、こう述べている。(註5)

『沈黙とは単に語らないことではない。沈黙は一つの積極的なもの、一つの充実した世界として独立自存しているものである。沈黙は言葉と同じく産出力を有し、言葉と同じく人間を形成する』

 治療者が患者の苦痛をあえて捨て置き、患者が自らを突き放す森田療法の治療者=患者関係の「不問」にも、沈黙という「間」がある。
 「間」には、事象の移り変わる繋ぎを表わす意味があり、それは空間的であると同時に時間的でもある。
 「不問」によって生じるこの「間」は、心や態度の移り変わる「ころあいの間」として、機の熟すきっかけを患者に与え、自己決断と行動へと向かわせる。
 つまり、森田療法の「不問」とは、このような内容の「間」を意味する。そして、患者自身が自己内省的な関わり(自己対話)を持ちながら、治療者との関わりを持つことになる。
 患者からすれば、問いかけをしない態度が求められ、治療者側は、あえて問うことを断つ「不問」の間で、自発的行動への機が熟してくるのを待つ。 これは治療者の工夫と努力であると同時に、患者へ寄せる期待である。


 2. 治療者と患者の心理的間合いと説得の呼吸  
   森田療法において森田は、治療者は「親しんで馴れざる態度」をよしとした。患者と共に過ごす中で、自分の私生活をあえて示して、患者の実生活で必要な配慮を教示したのであろう。
 特に、森田療法の成立のきっかけとなった一症例の治療体験から、森田は患者に家庭的環境の中で、人間性の自然を体得させようと考えた。そしてあえて家庭的な日常生活を患者と過ごすこと(家庭的修養療法)に、治療の意義を見出したように思われる。(註7)
 その中で、患者は同じような体験を持つ森田に対して、治療者としてだけでなく、師として、父親として、また良き相談相手として、尊敬や信頼感を寄せた。しかし同時に森田は、治療者と患者の相互が慣れ過ぎることのないように留意したのである。
 森田は、患者自身が森田との心理的な間合いを計る自然な配慮を、身をもって指導したようである。
 例えば森田は、患者の身勝手で自己中心的な態度、また無反省的に治療者へ追従する態度に注意を促して、患者が相手の心にも気を配ることの重要さを説くことを怠らなかった。このような場合 治療者は、感情的に叱ったり、褒めたりすることをせず、これを我慢するように注意しているが、その実行はなかなか難しいことだとも言っている。(註8)

 治療者が患者と日常生活を共に過ごす機会の多い入院森田療法では、このようなことは しばしば遭遇するし、その折々に注意を促すことも少なくはない。

  例えば、入院中の対人恐怖で悩む若い男性が朝、顔を合わせても挨拶もしないままうつむいてしまうので、私から、
「おはよう」
 と声をかけた。
 患者は小声で挨拶を返す。そこで、
「朝、顔を合わせたら挨拶をしましょう」
 と注意をする。
 彼は不服そうに、
「そのくらいは言われなくてもわかっていますが、緊張すると声が出ないのです」
 と、淀みなく弁明する。
 それを受けて私は、
「わかっているなら緊張するまま実行しよう。緊張するからといって黙っていたら、ますます声は出しにくくなるし、緊張することばかりに気を使ってしまうのです。朝の挨拶は礼儀でしょう」
 と言うと、即座に、
「ここに礼儀を教わりにここへ来たのではありません」
 と反発してくる。
「自分の気持ちを必死になって言おうとすると声は出るし、それが自然な心の働きなのです」
 と、私は自然に声の出ることを、彼に気づかす注意を促す。
 その幾日か後に、
「あの時は失礼しました。よく考えたら私が間違っていました」
 と、その青年は「すなお」に反省を示した。それがこの患者にとって「わかる」ことであり、その態度がまた新たなきっかけになって、治療者の助言を受け入れていくのである。
 実際の人間関係に役に立つか立たないかは、抵抗や反発をしながら、素直に治療者の助言を聞き入れるか否かによって違いが生じてくる。治療者は、ただ感情的になって叱るのではなく、この助言の間合いと呼吸が、治療者にとって重要となる。


 3. 「不問」に対する「抵抗」と「すなおさ」。 そして「自己決定」について 
  精神療法における「抵抗」は、治療者の治療的努力を妨げる患者の示すすべての言動ということになる。ここでは、治療者の「不問」に対する患者の「すなおさ」ということから「抵抗」と「自己決定」について述べてみたい。
 ヤスパースはこう述べている。(註13)

『人間の内には、援助してもらいたい要求に逆らって、精神療法ばかりではなしに、医学的治療すべてに対する拒否がある。人間の内には自分自身で救いたいものがある。彼の内にあるこの抵抗を制しうるものは彼一人だけでありたい』

『精神療法的治療を受けようという決心は、事実一つの決心であって、それが生の途上における決断に似た何かを意味することは否定できない』


 これは人間の自由な意志と心の尊厳さを物語るものであり、その意味で患者が森田療法を求めるのも、様々な抵抗を制して患者自らが決定する選択である。
 そこで患者の心の「すなおさ」が問われることになる。

 森田療法の治療者は、治療の導入に当たって、この療法の特徴である「不問」と自分で選択し決断することを呼びかける。そして、患者がそれをいかに受け止めるかが、この治療を選択する決断の分岐点になる。
 その一つの鍵が患者の心の「すなおさ」(註3)である。
 この「すなおさ」とは、森田療法においては「とらわれ」に見られる「抵抗」(=我を張ること)に対応するものであるが、森田はこれを次のように説明している。(註8)

『ある患者に、「試験を受けてみなさい」 と言ったら彼は、
「自分のように頭が悪くては受かるはずがない」 と考える。
 私はそれを「我」という。また、
「折角、先生がそう言われるのだから、とにかくやってみよう」
 というのが「試みる」ことであり、「任せる」ということである。
 この「我」と「試みる」を意識的に自覚して心の内に両立させて、実行に表わすのが「柔順」という。
「我」を張れば「強情」といい、まったく「我」を去れば「盲従」という』

 この森田の説明にある「柔順」というのが「すなおさ」に当たる。しかし、これは文字通りのものというより、「我」の「とらわれ」と「試みる」という心の両立のままに、その折々の状況に対応しようとする自己決定の心が「すなおさ」なのである。

 例えば、ある表情恐怖の患者に、
「君は最近、人にも会うようにしているし、話している時の君の表情は明るくなった」
 と言うと、彼は不満そうに、
「少しも元気ではありません。先生は、僕の心の苦しさを見ようとしないで、見かけばかり言う」
 と反発する。
「それは君が苦しさにばかりとらわれて、自分の行動の変化に気づかないからでは?」
 と応じる。
 これはとがめるのではなく、事実をありのままに受け取る注意である。
 この患者は、
「今は苦しいことばかりだが、先生から見ると元気に見えるらしい。しかし、自分にはそうは思えない」
 と感じていた。しかし、やがて彼はこの疑わしい思いのままに、
「先生の言うように自分を見てみよう」
 と、「すなお」な気持ちで生活に取り組むようになり、治療者との呼吸が合い始めていく。
 それは治療者の権威的教示というより、共感性の染み込み(註4)による患者の変化である。

 次の例も、この「抵抗」から治療者の説得に行き詰まりを感じていた患者が、「生活の場」の体験から、恐怖と欲望との調節を自覚した例である。

 対人恐怖の青年で、人前で緊張して声が出ない。電話が取れないという悩みを持ち、勤めも長く続かないでいた。彼は診察のたびにこう言った。
「先生の言うように、自分がやるしかないと考え、電話も取り、人にも交じわるようにするが、少しも良くならない」
「逃げてばかりいては生活ができないことはわかっているが、緊張することが気になってしまう」
 そんな彼がある日、
「夏、海に出かける人が多いが、自分はそれもできない」
 と言う。
 彼には幼時から水が怖くて、何かと理由をつけては水泳を避けていた。
 そして、
「泳げなくても対人恐怖とは違って、普段は困ることもないから」
 と言う。
 その会話がきっかけで、私は水泳教室へ通うことを提案した。彼は、
「そんなことはできません」
 と即座に拒否した。
「泳げれば良いのにと思うことはないですか?」
 の問いに、
「それはあります」
 と言う。
「ではやってみたらどうでしょう?」
 私は、行き詰まった「生活の場面」の、一つの打開策として提案したのである。
 彼は考えてみると言ったが、決心はつかないようであった。その後も治療者は、折に触れて勧めてみた。
「思い切ってやってみる」
 と返事があったのは、しばらく経ってのことだった。
 最初の感想は「怖い」の一言であったが、やがて「顔を水につけられた」、「体を伸ばしてばた足ができる」となり、その1ヵ月後には、「10メートル泳げた」と報告してきた。「クロールで25メートル泳げた」と聞かされたのは、それから間もないことであった。
 さらに彼は、
 「水泳がこんなに面白いものとは思ってもみなかった。小さい頃から水が怖くなければと、そのことばかり思っていました。今でも水が怖いことに変わりはないが、それ以上に水泳が面白いので止められません」
 「先生からいつも言われていたことが、今やっとわかってきたように思います。緊張してもこの調子でやれば良いのだと思いました」
 彼の、この恐怖と欲望の体験を通して得られた心の調和の自覚は、治療者と患者の不問と抵抗の交流を通して、自ら試みる行動へと踏み出すその決断にあったと思われる。


 おわりにかえて 
 森田療法では、患者の心身の苦悩が様々な現象をとるとしても、それは、人が絶えず自己の向上や生に執着する本性から生じることであると解釈する。そして、その本態を病的な障害というより「あるがままの常態」として耐えさせ、治療者もまた自らの身に置き換えて、それを受け入れる態度をとるのである。
 この治療者の共感があってはじめて、症状を不問のままに生活実践をすすめる説得が成立し、素質の鍛錬と心の調和を促すことができるのである。
 その真の目標は、患者が自ら選ぶ生活の道を、自らの力で歩んで行くように導くことにある。
 しかし、その実現までの過程では、治療者は不問に対する様々な抵抗や反発に直面して困惑する。患者同様に、忍耐と努力を迫られるのである。
 しかし、森田療法に適応する患者の多くは、抵抗や迷いのままに治療者に任せ、その説得を受け入れて現実の生活を実践するうちに、やがて不安なままでも適応できる自分に「気づく」ようになるのである。
 その一方、この十数年来、治療者の指示にもただ回避し、引きこもり、家族に依存するばかりで、葛藤を示さない症例が次第に目につくようになった。森田療法においても、この人たちの救治に治療者の役割が問われているが、残念ながら 私は、未だその対策に適切な答えを出すことができないのである。





脚註(参考文献)

註1 ◯近藤章久(1961)「心理療法における治療者・患者関係-ホーナイ学派と森田療法について」日本精神分析学会第六回総会シンポジウム、精神分析研究、7(6);8〜12頁
註2 ◯藤田千尋(1993)「森田療法における治療者の役割」森田療法学会雑誌、4(1);34〜40頁
註3 ◯Fujita、C.(1990)「On the meaning of “Toraware” (being Mentally captive)and “Sunao”(Compliance)in Morita Therapy」1(2);183〜187頁
註4 ◯藤田千尋(1995)「森田療法における説得的コミユニケーションと治療の場の関係について」森田療法学雑誌、6(2);105〜111頁
註5 ◯ピカート/佐野利勝訳(1964)「沈黙の世界」7〜9頁、みすず書房、東京
註6 森田正馬(1979)「不問療法」森田正馬全集 第2巻、207頁、白揚社、東京
註7 ◯森田正馬(1979)「家庭療法〜家庭的修養療法」森田正馬全集 第2巻 ;413頁、第3巻 ; 227頁、白揚社、東京
註8 ◯「森田正馬(1979)「第26回形外会」森田正馬全集 第5巻;267〜268頁、白揚社、東京
註9 ◯「森田正馬(1979「精神療法講義」森田正馬全集 第1巻 ; 542頁、白揚社、東京
註10 ◯森田正馬(1979)「第62回形外会」森田正馬全集 第5巻:721頁、白揚社、東京
註11 ◯森田正馬(1979)「神経質及神経衰弱の療法」森田正馬全集 第5巻:393頁、白揚社、東京
註12 ◯森田正馬(1979)「我が家の記録」森田正馬全集 第7巻: 763頁、白揚社、東京

註13

◯ヤスパース、K. / 内村祐之 他訳(1958) 「ヤスペルス精神病理学総論 下巻」365〜370頁、岩波書店、東京

註14

『学んで思わざれば則ち罔し。患うて学ばざれば則ち殆うし』

<書き下し文>
学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。

<現代語訳>
学んで、その学びを自分の考えに落とさなければ、身につくことはない。また、自分で考えるだけで人から学ぼうとしなければ、考えが凝り固まってしまい危険。




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