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常盤台神経科の入院森田療法
丸山 晋(精神科医)
野中 剛(「森田療法ビデオ全集」 監督)
野中 剛(「森田療法ビデオ全集」 監督)
〜この文章は、VHS版「森田療法ビデオ全集 第2巻 常盤台神経科」に付属していた小冊子の全内容を、近年の精神医学の状況に合わせて部分修正し、転載したものです。写真は「森田療法ビデオ全集 第2巻 常盤台神経科」からの転載です〜
「森田療法ビデオ全集 第2巻 常盤台神経科」制作の際、精神科医 藤田千尋氏へのインタビューは、20時間を超えました。主に、常盤台神経科における入院森田療法に関するインタビューでした。しかしそのうち作品で使用されているのは約数十分です。
大変貴重なお話でしたので、以下にその要旨をまとめました。
DVDをご購入いただいた方には、作品のより深い理解のために、ご購入を検討されている方には、検討のご参考にしていただけたら幸いです。
1)初診
よりよく生きようとすると、人は必ず悩みに直面します。そして悩みと共存して、日々の生活を営みます。しかし人によっては、その悩みにとらわれてしまい、通常に生活することすらできなくなってしまうこともあります。耐えがたい苦しみ、悩み、不安、葛藤・・・。そんな時、人は精神科医や心理療法家の扉を叩きます。
森田療法施設を訪れる人の多くは、森田療法を求めてやってきます。悩みの最中、書籍などで森田療法を多少なりとも知るのです。
薬を使わない自然療法だから、それで治したい。創始者 森田正馬や森田療法の医師の言うことが私にぴったりだから、私はそれで治るのではないか・・・。
森田療法を求める患者さんの多くは、森田療法にそんなイメージを抱くようです
どんな悩みで苦しんでいるのか? それをどうしたいのか? どんな自分になりたいのか? 自分の性格は? 現在までの生活歴、治療歴・・・。
同時に、治療者から森田療法についての説明がなされます。その際、治療者が特に強調することは、患者さんに、本当に森田療法をやり通す決意と心構えができているかということです。 森田療法は、患者さんにとって決して楽な治療法ではありません。
例えば、親が森田療法を知り、子どもに森田療法を受けさせようと、診察室に訪れる例が多くあります。ですがこのようなケースの場合、治療をうまく進めていくのが時として困難になります。なぜなら、本人に森田療法を受けて良くなりたいという気持ちが少ないからです。やり通すという意志が希薄だからです。
森田療法という精神療法は、患者さんの中にある健康な生の力を育て、伸ばしていくというものです。患者さん自身が、本来持っている自分の健康な部分に気づき、育てていきます。治療者はそれをただお手伝いする役割です。治癒していくのは患者さん本人の力でしかないのです。ですから、本当にやり通せるのかどうか?
森田療法の初診は、患者さんと治療者との間で、治療の契約を結ぶ役割を担っています。それがなされてから、外来で森田療法受けるのか、入院で受けるのかという選択が生まれてきます。
仕事や学校、家庭などがあり、入院を選択できない人は外来を選べばいいですし、基本的な生活がにっちもさっちもいかなくなっている人、とにかく集中して徹底的に治したい人は入院を選択すればよいでしょう。
症状が重い、軽いは、さほど重要な問題ではありません。大切なことは森田療法をやると決断することです。
外来森田療法を選ぼうとも、入院森田療法を選ぼうとも、森田療法の本質から外れることはありません。
2)臥褥
心身の休息と生の力の目覚め
森田療法で入院を選択すると、まずは臥褥(がじょく)から始まります。臥褥とは、カーテンもドアも閉めきった個室の布団の上で約1週間、ただ横になり続けることです。
トイレ、洗面、運ばれてくる食事を食するとき以外、布団から起きあがる事は許されません。起きあがって、部屋をうろうろしたり、窓から外を眺めたり、新聞や本を読むことも許されません。つまり、外部の刺激から遮断された環境で、1週間ただ横になり続けるということです。 悩んでいる人は、寝ても起きても自分の悩みのことばかり。自分の症状ばかりに無駄なエネルギーを使い、一人相撲を取っています。
臥褥をするということは、そんな心身に対して、ひとまず休憩を与えることになります。と言っても臥褥を開始してから1〜2日間は、やはり自分の悩みのことばかりに頭を巡らせるのが一般的です。
しかし臥褥という空間では、どんなに悩んでいることに心を巡らせても、どうにもなりません。
だいたい3日目を過ぎると、今までの自分の悩みと一緒に、だんだんと退屈感を感じるようになります。そして同時に、自分の人生や家族の亊など、症状や悩みのこと以外についても、いろいろと頭を巡らせ始めます。いわば、自己との対話と言ってもいいかも知れません。
臥褥の後半にさしかかると、患者さんはとにかく外に出たい、誰かと話したい、何かをしたい、などと刺激を求めることで一杯になります。そう感じるのが人間の自然な姿です。
もちろん、臥褥の経験には個人差があります。対人恐怖の人は、人に会わないで済むから楽だ、と最初はあまり退屈感を感じない人もいます。しかし後半にさしかかると、誰もが退屈感に苦しみます。これは想像以上に苦しいことです。 しかし、その苦しさが、心の中に健康な生の力があるということなのです。
症状に向けていたエネルギーを一旦休止させ、そのエネルギーを健康な方向に向けるスタート・ライン。臥褥にはそんな意味があります。
また治療者にとっては、臥褥での患者さんの態度、反応を見て、病気の鑑別、森田療法に適応する患者さんかどうなのかを検討する補助とします。
3)軽作業
生の力のウォーミング・アップ
臥褥が終わると、まず入浴をし、身体をすっきりとさせます。そして臥褥明けの診察を終えると、約4日間の軽作業が始まります。
軽作業というと何か簡単な作業が用意されていて、それをこなしていくと想像しがちですが、そうではありません。軽作業は、臥褥の延長線上にあります。ですから、できるだけ刺激を避けて、自分の身の回りのことをよく観察することから始めます。また、同じ入院している人たちとの会話も、できる限り慎むようにします。
臥褥から起きた患者さんは、何かをしたい、誰かと話をしたいという気持ちでいっぱいです。それは人間として健康な心の働きです。でも、それを一気に放出させてしまったら、それっきりです。
軽作業では、臥褥で得た健康な生の力を一気に放出させるのではなく、ゆっくりと徐々に放出させて行きます。ですから、まず観察することから始めるのです。
光を受けて輝く葉、芽を出した蕾、鳥の鳴き声や、昆虫の動き・・・。今まで症状のことばかりに注意を向けていて、気がつかなかった身の回りのこと、その美しさや新鮮さに目を向けていきます。 気がついたらゴミを拾ったり、掃除をしたりと簡単な作業もします。
自分で気づいたことに手をつけていくと言われても、何をどうしたらいいのか? 多くの人が戸惑います。
また、対人恐怖の人は人と話せないことから、嫌われているのじゃないか、無視されているのじゃないかと苦しむ人もいます。
しかしそれも心が健康な証拠なのです。健康な生の力をうまく発揮できないから苦しいのです。だか困りながら、苦しみながら、何か気づいた簡単なことに着手していきます。
森田療法では、そんな健康な心を、次の作業期でさらに伸ばしていこうとするのです。
軽作業期をうまくできた人は、次の作業期もうまくできると言っても過言ではありません。困りながらも、苦しみながらも、何かを見つけ、それに関わっていく。
軽作業期は、次の作業期へのウォーミング・アップの期間と言えます。
4)作業
普通の生活
症状に向けていた無駄なエネルギーを一旦停止させ、健康なエネルギーを発芽させる臥褥。健康なエネルギーの芽を、ゆっくりと育む軽作業。
空のコップにゆっくりと水を注いでゆくように、入院療法では患者さんの中の健康な生の力を外に向けてだんだんと広げていきます。
そして、入院療法の大部分の時間を占める作業期。それは普通の生活をするということです。治療のために何か特別な作業をするということではありません。
相変わらず治療者からは、特に何をしなさいという指示はありません。1日の作業メニューも、詳しく決められていません。生活をするという、時間と空間がそこにあるだけです。言ってみれば、それは何も描かれていない白いキャンバスです。1日の時間を自分でマネージし、気がついた亊に着手し、自分の思い描く生活という絵を、そのキャンバスに描いていくのです。
なんでそれが精神療法なんだ。一般の人はそう思うかも知れません。しかし、神経症に悩む患者さんは、自分の思い描く生活をしようとすると、そこに起こってくるいろんな抵抗感を取ることばかりに目が向いてしまいます。
不安でなければいい、恐怖感が起きなければいい、疲れなければいい、記憶力が増進すればいい、集中力が高まればいい、そういうことができない自分が問題だと考える。
いってみれば、実行水準と要求水準の格差に悩むことに、無駄なエネルギーを使うわけです。そうすると、こうありたいと思うことがいつの間にか、こうあらねばならない、となってしまいます。そういう観念の操作による矛盾、それをうち破ることが森田療法の基本原理です。
ことさら普通の生活を送ってもらうなんて、治療らしくないと思うかも知れませんが、日常のことで悩むわけですから、当たり前の日常生活を通して、無駄なエネルギーの方向を、よい方向に向けていくのです。
困りながらも行動する
軽作業期と同じように、治療者からは具体的な作業の指示はありません。多くの患者さんは、最初何をしていいのか分からず、どう時間を過ごしていいか思い浮かばず、困り果ててしまいます。
しかし森田療法において困る、苦しむということは、治療上、重要な梃子の役割を担っているのです。
心の中に健康な生の力があり、自分をよりよくしたいから困難に直面し、苦しみ、悩むのです。だから、さぁ今日は何をしようかと、苦しんで欲しいのです。苦しんで色々なものを見つけてやって欲しいのです。これは今日やるノルマですというように楽にとりかかるような作業の関わり方は、できるだけ避けて欲しいのです。
誰でも苦しむのは嫌です。でも何かものを考える、ものを作る、ものに関わっていくといいうことは、やはり苦しむことが筋道なのです。そうでないと、ああ、やった! できたぞ! という達成感や充実感を得ることができません。与えられたものをただやりましただけでは、そこに健康な自分を発見することも遠のいてしまいます。
このように森田療法では、体験を重視していきます。
今まで患者さんは、症状を免罪符にして、不安や苦しみから回避するという間違った学習行動を身に付けています。しかし森田療法では、苦しいことは苦しいままにするしかないんだから、それをそのままにして、自分のできる行動として何かに関わっていくことを促します。それは、患者さんにとって新しい行動パターンの学習と言えます。
作業の中の達成感を通して、苦しいけれどできるんだ。やればできないことはないんだということを、患者さんに気づいて欲しいのです。そうすると、絶対に症状を取らなきゃいけない、そうでなければ、自分の思い描く生活ができないのだという思いこみが、変わって行きません。
苦しくても、不安でも、やりたいこと、やらなければならないことがあるのなら、それを行う。それが森田療法の一貫した治療方針です。
症状があってもやればできる
作業期に入り1週間も経てば、その人なりに作業を見つけるようになります。庭掃除、窓ふき、棚や新聞受けの制作・・・・。
常盤台神経科では、患者さんたちが料理づくりをします。毎日の朝食、木土日曜日の3食。食べるということは人間が生きることの基本です。誰かに作ってもらったものを食するのではなく、自らが作るということ。また、自分の作ったものを仲間が食べて、「おいしい」と言ってくれた時の喜び。そんな体験をすると、最初はイヤだ面倒くさいと思っていた料理に、もっと工夫を凝らすようになり、楽しくさえなります。
料理をはじめ作業のほとんどは、自分のためだけの作業ではなく人の役にも立つものです。スリッパが汚れていればそれを拭き、台所に鍋つかみがなければそれを制作したり・・・・。つまらないと思っていることにしても、嫌だなって思っていることにしても、気分は気分として関わっていくことによって、今まで考えもしなかった、人に喜ばれるとか、人のために役立ったという意識が芽生えてきます。
そうすると、症状にとらわれる気持ちと同時に、自分から離れた気持ちというものの存在も、自分で発見できるのです。そして、やれば役に立つことができる、症状があってもやればできる。そういう自覚みたいなものが、芽生えてくるのです。
すると作業をやっていても、自然に心が流れていく一瞬を感じるようになります。作業に夢中になっていて、その時は症状のことなど忘れていたという瞬間です。そのような経験も、症状があってもやればできるのだという気持ちを後押しすることになります。
大切なことは、自分の行動一つ一つに対して、その事実をありのままに受け止めていくということです。やれたことも、やれなかったことも、そのまま事実を事実として認めていくと、こうでなければならないと、自分の心を操作していたことが、無駄な努力だったということが分かってくるのです。
共同生活
作業期は、共同生活をするという意味でもあります。常盤台神経科には通常、4〜8名の患者さんが入院しています。その仲間たちとうまく生活をしていかなければなりません。毎日の食事作り、院内掃除、トイレ掃除、ゴミ出し、消灯当番、色々な役割を分担し合います。症状にとらわれてそれができないでは済みません。仲間に迷惑がかかってしまいます。みんな苦しみながらも役割をこなしていきます。
そもそも入院の場では、仲間に自分の症状や悩みのことを話すことは、基本的に禁じられています。だから、誰が何に苦しんでいるのか、お互い知りません。
毎週月曜日、患者さんによるミーティングが行われます。先週の反省、今週の目標などを発表し、一週間の共同作業の内容が決められます。
共同作業は、火〜金の13:00〜15:00に行われます。卓球、園芸、習字、スケッチ、百人一首、カラオケ・・・・など、普通の生活を逸脱しない範囲で、患者さんたちによって決められます。
いってみれば、入院における生活の場は、一つの小社会みたいなものです。ここでできるからといって一般社会に出てそのままできるということではないかも知れませんが、ここでできなければ、外ではなおさらできないわけです。 藤田医師は、生活の場を“実験的生活”と呼びます。患者さんそれぞれが自分の生活を前向きに切り開いていって欲しいのです。ですから普通の生活かも知れませんが、疎かにはできないのです。前向きに切り開いて行くか行かないかは、本人次第です。
体験を通してわかる。
そうやって大体の人が、ゆっくりと生活に慣れていきます。人と交わりながら、自分の思い描く生活の努力をする。そして、そんな生活を数ヵ月繰り返していくうちに、自然に、自分が今までやろうとしていたこと、治療に求めていたことが、度を外した無理な注文だったということが、なんとなく分かって来るのです。
理屈を通して分かるのではなくて、生活体験を通して身体で分かっていくのです。不安があっても、自分のやろうとすることをやっていくことで、不安や恐怖、欲望、努力、奮闘というのは、両立していくものなのだなということが分かってくるのです。
そしていつの間にか、症状にとらわれることなく、生活ができるようになっている。それでいいんだと思えるようになってくるのです。
個人差はありますが、作業期を迎えて約1〜2ヶ月後には、外出も許されるようになります。学生であれば学校へ、社会人であれば職場へ治療施設から通うようになります。
5)日記
軽作業期から毎晩日記を書くことが求められます。日記は、治療者と患者さんのコミュニケーションの手段といえます。
最初 多くの患者さんはたくさんのページを費やして、自分の不安や苦しみを書き連ねます。しかし、治療者からは、「自分の悩みのことを書くのはできるだけ避けて、その日一日、何があって何をしたのか、ということを書きなさい」と言われます。
患者さんにとっては、「自分の悩みを分かって欲しい」という気持ちでいっぱいでしょう。しかし日記は、そんな気持ちを分かってもらう目的のものではありません。治療者が患者さんの生活を知るための手段なのです。 日記は治療者にとって、患者さんの心の状態を知るためのバロメーターの一つと言えます。治療が進んでいくと、次第に文章の中に症状に固執する内容がなくなったり、子どもっぽい表現がなくなったり、細かい字でびっしりと書かれていたものが、読み易く、読む側を配慮するようになってきたりします。
多くの森田療法の治療者は、日記に赤ペンでコメントを書き入れます。しかし藤田医師は、あえてそれを行いません。日記という個人的なものに、他人が赤を入れたくない。書いたコメントが言葉として一人歩きしたり、患者さんにとってスローガンになってしまっては困るという配慮によるものです。コメントしたいことがあれば、診察の時に面と向かって言えばいい。それに対して質問があれば尋ねてくれればいい。それが人と人とのコミュニケーションであり、診察である。
そんな姿勢は、治療者である以前に一人の人間であろうとし、患者さんも一人の人間として尊重しようとする、藤田医師の基本姿勢なのでしょう。
6)外来と入院
治療の構造
常盤台神経科では毎週火曜日の午前中、入院している患者さんの診察が行われます。一人30分くらいが平均です。この診察の場で、患者さんから治療者に日記が提出され、日記を介して対話がなされます。治療者は生活のアドバイスをします。 森田療法の大きな特徴の一つは、生活指導ということです。症状や悩みについて、診察の場でも生活の場でも、大きく取り上げません。患者さんは自分の悩みを人に訴え、それが理解されると、一種の開放感で一時的に満たされます。しかしそれだけです。実際の生活は何も変わりません。そうではなくて、不安や苦しみはしばらく脇に置いておいて、生活の努力をして欲しいのです。
症状のことをあえて取り上げないのは、治療的にもとても意味のあることなのです。そういう意味で治療者は、ある時は分かってくれる人であり、ある時には分かってくれない人でもあります。
生活の場の中で、自分を生かすにはどうしたらいいか? 自分で考えて、行動する。そしてそれが間違っていれば、診察の場で、治療者が間違いを指摘する。指摘されたことを、自分がどう受け止めて、それを実際の生活に活していくか。
そう言った生活と診察の円還的繰り返し、その螺旋的な方向性が、森田療法の基本構造であると言えます。それは、外来でも入院でも共通していることです。外来も入院も本質は同じなのです。
治療者のアドバイスを実生活に反映させ、次の診察でそれを吟味し、また生活の場へ還元していく。藤田医師が生活の場に参加しないのは、外来と入院に大きな差を設けないためです。臥褥、軽作業をしなければ森田療法ではない、という誤解をもたれたくないのです。臥褥、軽作業はあくまでも治療を効果的に運ぶための、スプリング・ボードと言えます。
7)退院
藤田医師は入院は最低3ヵ月と言います。しかし、それはあくまで最低の日数です。長い人は1年以上も入院する人がいます。それは症状が重い、軽いという単純な問題ではなく、退院も本人の意志に任されているからです。
治療者から退院しなさいとは言いません。森田療法のすべてにおいて、治療者は提案やアドバイスはしますが、決して患者さんに対して指示的なことを言いません。選択と決断を本人の意思に委ねます。自分自身で選択し、決断して欲しいのです。そうでないと自己肯定感も生まれません。また良くも悪くも、それでいいのだと、現実をあるがままに受けとめることなどできません。
数ヵ月の入院生活をし、新しい行動パターンが身に付き、それが習慣になっていくと、次第にここを出て、社会の中で生活したい、もっと違った刺激の中で生活したいと思うようになります。ちょうど臥褥の時、とにかく外に出て何かをしたい、人と話したいと想いが募ったのと同じです。治療所から出て、外の世界で自分を活かしたい。そう思い始めます。
治療者がその意思を受けて、退院に賛同すれば、それが退院の時期と言えます。ですから森田療法の入院日数には、個人差があります。治療的には退院しても大丈夫という人でも、一人でやっていけるかという不安に負けて一歩踏み出すことができない人もいます。しかし、選択と決断は、自分で行わなければなりません。
森田療法でいう治るということは、症状は消えないとしても、なんとか生活ができるということです。すべて症状がなくなった、まるで違う自分になれたから退院するということではありません。
もしかしたら、入院前と、症状は何ら変わりがないと本人は感じるかも知れません。でも、患者さんは、今の自分にそれでいいんだと思えるようになっているのです。良くも悪くも、この自分で生きていくしかないんだと自覚するようになっているのです。実はそれは大きな違いです。
よく、森田療法の本を読んで、ああ、森田療法が分かった! 治った! という患者さんがいます。しかし、森田療法が本当に分かるということは、苦しくても本当に実行し、行動するということです。頭で理解できたということではありません。行動ができて、初めて森田療法を理解したといえるのです。
退院は新しい生活のスタート・ラインです。入院の中で得た、自分で選択し、決断し、それをやり通すことを習慣づけた患者さんは、それを社会の中で実践し、人間的な成長の道をたどっていきます。そして、ふと気がつくと、悩んでいた頃の自分に、ああ、あんな時もあったなぁと、優しい笑顔を贈れるのです。
創立: | 1961年4月1日(2013年閉院) |
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スタッフ: | 医師1名、看護婦1名、ケース・ワーカー1名、ハウス・キーパー1名、食事係1名、臨床心理士1名 |
入院可能人数: | 最大7名 |
外来診察: | 水曜、金曜(AMは初診のみ) |
各種保険適応: | 入院、外来とも |
常盤台神経科は、森田先正馬が行っていた森田療法の原法に近いピュアな森田療法といえます。大学病院などの入院療法とは違い、治療者の住居敷地の中に治療所を持ち、より家庭的な空間と言えます。それは森田正馬の治療スタイルと同じです。
また、忘れてはならないのが、藤田夫人の存在です。実際、生活の場を切り盛りしているのは藤田夫人です。治療者と週1回しか面会しない患者さんに、一番多く接するのは藤田夫人です。
夫人は時には共同作業に参加したり、食事作りのアドバイスをしたり、看護婦、ケース・ワーカーと同じように、患者さんの生活を支えています。治療者が治療所の父親的存在だとしたら、夫人は母親的存在の役割を担っています。
藤田夫妻のよきパートナーシップが、常盤台神経科に家庭的な暖かさと、明るさを作っています。神経科の診療所とは、感じられないほどのぬくもりがそこにはあります。患者さんは、そんな暖かい擬似的家庭空間で、人間としての生き直し、再教育を受けていくのです。
森田療法は、治療者によってやり方が違います。それぞれの治療者が、それぞれの特徴を活かして、森田療法を行っています。
中には、治療者が生活の場に積極的に参加する治療所もあります。また、表面的には作業の内容が決められている治療所もあります。しかし、それぞれの治療者が森田療法の本質を理解し、そこから逸脱はしていないはずです。
10人の森田療法家がいれば、10の森田療法がある。森田療法は、本質さえつかんでいれば、どのようにでも自由になれる治療法であるといえます。
時代は変わり、患者さんの悩みの質も変化していきます。患者さんが変われば精神療法も変わっていきます。どんな時代になろうとも、どう森田療法の表層が変容しようとも、森田療法のスタンダードは、この森田療法ビデオ全集 第2巻で紹介した常盤台神経科の中にあると言えるでしょう。
*写真は、「森田療法ビデオ全集 第2巻 常盤台神経科」より