| 【目次】 | |
|---|---|
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| 1 | はじめに |
| 2 | 本課題を考える前提条件 |
| 3 | 森田療法のレトリック |
| 1) 森田療法についての森田自身の記述 | |
| 2) 森田の基本的思惟と人間観 ーその時代的背景ー | |
| 3) 森田療法の治療の場と治療者の役割、特に治療者・患者関係における不問について | |
| 4) 治療目標、あるがままに生きる | |
| 5) 森田療法を貫く思想の特質 | |
| 4 | おわりに |
1. はじめに
芭蕉の俳諧理念に不易流行という言葉がある。これは不変不偏即変、変即不変の理を示そうとしたものだそうであるが、本質をいわば静的なものと動的なものの二面から見たものといわれる。森田療法の本質についても、これと対比して考えられるかも知れない。
精神療法というものは、歴史の不断の流れのなかで、今に生きる人たちの心に即応する役割を持つ一つの文化的治療体系と考えられるからである。
つまり、時代の変化と共に変わるもの、変わることが反って自然と思われるものもあるし、それとは逆に、時代の変化を越えて変わることのないもの、むしろそのものこそ、変わってはならないものもある。森田療法でいえばそれが不易流行ということではなかろうか。私は森田療法が置かれている現状をそのように捉え、以下のことを考えて見たい。
2. 本課題を考える前提条件
森田療法の本質について私見を述べるに当って、次のことに先ず触れておきたい。即ち、森田療法は日本における独自の現実主義に徹した治療システムを基盤とするほぼ、完成された訓練療法乃至自然療法という特徴を持つが、それはまた、森田が彼と同時代に生きた人々との治療的かかわりによって得た経験の集積から生まれたものであり、その意味において、森田療法やその治療対象である森田神経質の病理は、必ず当時の人々の実生活を支えた生活意識に成立基盤をもつものである。したがって、現代の森田療法について、どうしても考慮すべきことは、当初の森田療法や森田神経質との間にある斉一性の問題である。つまり、森田療法が創始されてほぼ70年を経た現在でも、原法に準じた治療が可能であるか否かという問題が生じてくる。
無論、森田療法の現代的意義は高良も強調するごとく変わらずあるにしても、従来からも森田療法の修正や変法は行われているし、その必要性も論じられてはいる。しかし、そうした修正が必須のものと考えられれば考えられるほど、森田療法そのものと、その治療者とのかかわりが問われなければならない。つまり、治療者の森田療法及びその治療対象への認識の問題である。
森田療法は本来、理論的にも実践的にも容易にこれを受け入れられる性格のものであるため、反ってその理解が上りに成り易く、またそれだけに、その含む意味も受け取る側の解釈も入り易いうらみもある。そのことは、裏を返せば森田療法の治療過程を概念化しにくい所に真の問題点が隠されて居り、それを言語化することが森田療法の現代における精神療法としての発展があるのではないかと考える。しかし、このことは現代の森田療法のアポリアであり、これを現実にどのように乗り越えるべきかが、森田療法の治療者としての務めであろう。
そこでまず、森田療法の本質について、具体的にこれを述べるに当たってどのような視点に立つかが私にとっての問題となる。
何ごとによらず、ある事柄の本質が問われるということは、その事柄の存在が、何か危機的な状況に当面する場合が一般的である。その意味からすれば、森田療法も今がその問題の時と考えることができる。この現状の認識は、治療者の一人一人がどのような視点に立つかによって多少の差異があるにしても、傍観者たり得ない現実の問題である。したがって、私に与えられたこの課題は、私一人のものというよりは、森田療法学会の会員全てが、それぞれの体験に基いた見解を披露すべき筋合いのものと私は考えたい。その会員の一人として、私は本日の課題の提起が、この現状認識と表裏の関係にあるものとした上で、日頃念頭にあることを甚だ不備ではあるが述べて見たいと思う。
一般に森田療法の本質を問うことは、治療者にとってはいわば自明のこととして素通りしてしまう問題であるかも知れない。そのためか、過去においても、この問題を直接の課題とした論文は新福のそれを除いて私は知らない。つまり、臨床的には、こうした問題は敢えて言葉によって表現される性質のものではないのかも知れない。
本質という問いは一般的には哲学的雰囲気をもつ印象を受けるが、私は臨床家の立場から、これを次のように考える。つまり、そのものとして欠くことのできない最も基本の性質であり、森田療法を森田療法たらしめているものである。それは、森田療法とは「何」であるかといった場合の「何」かに相当するものに含まれて居り、森田療法の特徴やその発展方向を規定する不可にして恒常的なものと考えられる。したがって、森田療法の本質は、森田療法がもつ特徴、つまり、治療対象とその病理、治療システムとしての臥褥と作業、それを推進する治療者の役割と治療者・患者関係そして治療目標などの諸事項であり、それぞれの特徴を一貫して森田療法たらしめているものがその本質と考えてよかろう。ところで、森田療法に関する従来からの知見の多くは、森田療法を特徴づけている諸事項に焦点を合わせ、それらを他の精神療法との比較からその独自性を浮彫にすると共に、その異同性を論じるものであったと思われる。しかも、そのことごとくは西欧学術的な文化パラダイムによって敷衍されたものであったし、そのことは森田自身も例外ではなかった。少なくとも、明治以後、西欧近代化へとばく進してきた日本人のものの考え方は、井筒の指摘の如く、殆ど無反省と思えるほど西欧的に文脈化して居り、精神療法においてもその伝統の科学的体系知としての価値判断が介入していることは否定し難い事実である。森田の頃の日本の精神医学的思考のなかには、東洋と西洋との両文化を統一的な観点から捉え、それを歴史的過程における発展性として理解しようとする考慮はなかったものと思われる。しかし、そうしたなかにあっても、日本の精神医学、わけても森田療法が近代化へ向かっての自己の歩みとして、西欧の精神療法的発展史のなかに、はじめて自己の位置づけを試み、しかも単なる彼我の紹介や模倣に終わらず、独自の治療的体系として完成させた森田の功績は特筆さるべき快挙であった。
森田自身がクレペリンへの私淑について述べているように、彼は正統的なドイツ精神医学の観点に立ったが、それに全てを依存したのでないとことは、内村の指摘にもあるように彼の異常人格についての考え方は彼よりかなり後に出たシュナイダー・K、の考え方に近かったし、精神現象の観察の視点も、当時のドイツ精神医学的思考が、個体内の現象としてのみ見ていたものを、それに留まらず外界との関連から理解したことは、これをはるかに凌駕凌駕したものと考えてよかろう。因みに、クレベリンは、一連の神経症群を本源性疾患状態として位置づけることしかできなかったのである。いずれにしても、森田が西欧の伝統的な精神医学の知をいかに自家薬籠中のものとし、自らの神経質に対する疾病分類学的位置づけや治療体系について、これを世に問うたことに大きな自負を持っていたかは、森田の記述からも十二分に窺える。しかし、彼自身も気づかなかったであろうが、森田が懸命にこれを西欧的概念知のレベルで説明したとしても、やはり森田療法の本質的な特徴は、この尺度だけでは普遍的な理解を求めることは困難であったように思われる。中根が指摘したように、日本では多くの面で、近代西欧文化の諸要素が一つの機能するシステムとしてではなく、断片的に無関係にとり入れられ、その受容された無数の知見はそれを総合的に見た場合、やはり日本的なものになってしまうのである。精神医学の領域もその例外ではなかろう。したがって、西欧文化の原理に見られるように、理論的に明確にされにくい日本文化乃至東洋文化においては、西欧のそれを普遍的原理と見る文脈からすれば、唯、それは非合理的で未熟であり、前近代的なものとして片づけられる一面もあるかも知れない。しかし、日本文化を含め、東アジア系の思想をヨーロッパ系のそれとの相補的なものとして提え直そうとする努力は、決して無駄ではないと思うのである。
先にも述べたように、私は森田療法のなかで言語化されにくい部分や今まであまり採り挙げられなかった、いわば隠れた部分に敢えて照明を当てることによって、精神療法一般と比較して共通性の少ない、森田療法独自の特殊性について、その含む意味を考えて見たい。それは概念や論理の重視と違って、イメージや直感を含んだ感性的言語の重視といえるかも知れない。しかし、そのことが少しでも森田療法の本質に迫ることができれば今回の意図の半ばは達せられたと思う。
3. 森田療法のレトリック
考えを進める手順として次の諸項目について順次説明を加えることにする。その前に予め断っておきたいことは、これから述べることは新たな知見では無論なく、従来の数多くの知見から意味のあるものを選び出し改めてこれらを措辞する手続き、つまりは森田療法のレトリックに過ぎないということである。
1. 森田療法についての森田自身の記述
2. 森田の基本的思惟と人間観 - その時代的背景 -
3. 治療の場、治療者の役割と治療者・患者関係
4. 治療目標、あるがままに生きる
5. 森田療法を貫く思想の特質
森田自身の記述を述べる前に、森田療法が体系化される過程を(表1a.b)に表示して置くことにする。
表1a (クリック、タップで拡大します)

表1b (クリック、タップで拡大します)
この表示で特徴的なことを二、三述べるとその一つは、森田神経質の病理が現在の森田説として明らかにされるかなり前に、森田療法の組織化にとって必要な事項は殆ど出揃っているということである。その二は、身心同一論的な考え方と同時に、森田は精神の病理を精神・身体・外界との関連において理解し、精神・身体という個体内に限った現象としてより環境状況から捉えようとしたことである。第三として森田は早くから意識と無意識との関係に強い関心を示したことである。
確かに森田の思惟は現象即実在としての考え方を優先させたが、無意識については1908年にすでにその意味を重視した考えを明記している。しかし、森田がフロイトの無意識の病理を強く批判したことから、それはそのままに放置され経過した。しかし、森田が生の力の内在、本来の自己と表現するものの所在は意識の基層と考えざるを得ないのである。かつて、河合が千葉のいう固有意識に着目し、森田説をそれから理解しようとした。また、最近、藍澤が、ユングの集団無意識から森田説の特質を考えようとするのもこのことに触発されているように思われる。
森田療法に見られる森田の純な心、真の自己の発想が唯識説とどのような関連があるかは今後に残された問題でもあろう。
3-1 森田療法についての森田自身の説明
森田自身による説明に耳を傾けることは、森田療法の原点に立ち戻ることでもあり、そのことがこの療法の本質を考える最も基本の資料となると思われる。ここでは次の二つの論文を挙げることにする。その一つは、森田が晩年の1937年に書いた「神経質への精神療法」であり、他の一つは、1919年に初めて森田療法の骨子が記述された「神経質の療法」である。
前者からの抜粋をまず記述して見よう。
「神経質に対する余の療法は訓練療法である。一般医師が患者に休学させたり、退職させたりするために病は益々悪くなるばかりである。吾々は神経質の素質を治すものではない。之を陶治調節するのである。神経質の用心深く細かい物に気づくことは之を長所として益々発揮するのである。決してこれを否定抑圧するのではない。即ち、頭重、心悸亢進、羞恥の情等之を其本心のまま、充分心配させる。只一方に理智に従って之を忍受させると同時に、人として自分のなすべきことをなさしめる一方には、自発活動を導きて、自由に生命の欲望に乗り切るようにすればよい。詮ずる所は、日常生活における欲望と恐怖との調和によって、総ての症状が霧散、霧消するのである。」
また後者において森田はのような説明をしている。
「初め絶対的臥得により身体的病状を恢復し、一方には精神的煩悶を破壊し、次に作業療法により子供に生まれ変わりたる様な気持になり、身心の自発的活動を促し、之を助長善導して身心を訓練するという所謂自然療法である。」
以上の森田の説明は総合すると次ように要約される。即ち、
1)訓練療法として;知性の働きによる症状の忍受と自己の性格の長所の助長、役割行動の履行への努力。
2)自然療法として;内在する生の力を発動させ、主観的には日常生活における生の欲望と死の恐怖の調和による生活適応への自由な志向。
これからも分かるように森田は、この療法の特徴は訓練療法であり、それがまた自然療法であるといい切っている。しかもそれは、この療法が創始された初期から完成された時期を通して一貫して変わっていない。
このことは森田が人間性についての考え方に終始かわらぬものがあったことである。それは人間の自然な生き方とその偏向としての神経質の病理との関わりやそれらの現象の観察と把握へ、いかに森田が確かな立脚点を持っていたかを物語るものといえよう。
3-2. 森田の基本的思惟と人間観 一その時代的背景 一
以上のことから、森田療法の特質としての意味を明確にするため、ここでは森田の人間観や自然観とそれを支える森田の基本的思惟方法について述べる。
森田は1874~1938の間に在世し、活躍した人であるが、その間にあって、森田が精神療法の樹立に当って直接または間接に引用したり参考にした人たちの業績、あるいは森田に類似の見解を示した人たちの知見を単に羅列し表示して見た。
表2
| 中江兆民 | 心身同一論 |
| 西田幾太郎 | 純粋経験、行為的直感 |
| 井上円了 | 心理療法、心身相互作用 |
| 三浦良治 | 自然良能 |
| 呉 秀三 | 精神療法、精神医学 |
| 松原三郎 | 過敏性体質 |
| 千葉鳳成 | 固有意識 |
| クレペリン. E. | 精神医学、変質者 |
| ベアード. G. M. | 精神衰弱説 |
| チーエン.T. | 神経衰弱性、精神病質性体質 |
| フロイド.S. | 無意識の病理 |
| ビスワンガー.O. | 生活正規法 |
| ジョリー.F. | 神経質、ヒステリー |
| クラーメル.A. | 神経質 |
| ワイル・ミッチェル | 臥褥療法 |
| デゥーク・ホフ | 精神療法 |
| クレッチマー.E. | 体格と性格 |
| ベルグソン.H. | 流動哲学、精神の流動、時間 |
| ミンコフスキー. E | |
| ジェームス.W. | 情緒論 |
| ランゲ.C. |
西欧の精神医学関係の知見が多くなっているが、それは当然な成り行きであったと思われる。また次の表は、森田が自らの療法を体系化する通程での関連事項を年代順に略記したものである。
森田が無意識の意味について、初期の頃からこれを重視していたことは上述した通りであるが、そのことは次のような意味において深い関連性があるように思われる。
それは森田の精神療法や病理観とは直接の関連はなかったかも知れないが、自我活動とか意識作用を活動する身体そのもの、つまり全人間的な表現として観想的に自覚する場を自己として把握したことは、表現をかえれば、それは見るものと見られるものの主客合一的な場が想定されてあったと考えられる。このことについては先にも触れたし、また改めて後述するつもりでもあるが、森田が真の自己、純な心と表現するものの所在が森田が無意識として注目したそこに見当づけられるのである。以上のことを念頭において、順次、森田の考え方についての私見を述べて見たい。
まず、森田の思惟の基本である身心同一論的考え方や純粋経験的な直観把握について触れることにする。
西欧における近代の思潮と文明を特徴づけるものは、一言でいえば主観・客観の図式にそってその可能性を徹底的に追及したことであると中村は延べている。それは主客の分離と対立のもとに対象を認知する近代的知である。それによって主観の自主性の強化と能動性が促進され、自然や外界への人間的働きかけやそれによる支配が確立され、ますます意識的自我主体の思惟が西欧的文化パラダイムの基礎となった。この西欧の近代知に立つ精神医学に森田の料学的方法論も依拠して居り、森田自身もしばしばそのことを言明している。しかし、意識的にはそうであっても、森田の思惟の展開は、この枠を越えて森田自身のネイティブなものともいえる日本の伝統文化的様式によって前者だけでは啓かれないより広くそして深い知覚的展望を示している。それは西欧の料学的方法論と日本の直観的、感性的認識方法の合一というよりは、その間の差異性を止揚した新たな森田の思惟の体系がそこに啓け、それを基本に森田は人間の諸事象を単なる理解や解釈に留めず、森田個有の本質把握へと結実されていったように思われる。
そのことを森田がどこまで自覚したかは不明であり、あくまで想像の域を追るものではない。しかし、森田の思惟の特徴を要約すれば、身心同一的見方 を基本とする現象の直観的把握の態度ということができよう。これを図式化したものが次の(表3)である。
表3

以上、結論的なことを先取りして述べてきたが、これを森田の記述に基づいて具体的に検討して見たい。
森田が早くから精神と身体との相互関係に注目し、それを身心同一論として発展させたことは先刻から述べてきた通りである。
森田によると
「精神とは吾人の生活活動そのものであって、此の活動を除いて外に吾人は認むべき何物も持たない」
と述べているように、森田は精神現象を活動する身体そのものとして提える。これを精神を主体化するものでも、また身体を絶対化するものでもない。むしる、身心の二項を止場し、身心同一的な視点から見る「身」の機念に近い考え方といえよう。 中江非民が主客相映じて両鏡の繊翳なきが如し。といった考え方でもあろうが、直観的、現象的所与として捉えたものである。これは西田が、身体なくして自己というものはない。身体は自己の存在そのものを意味するのみならず、その表現をもったものである。表現とは主観的存在であって、しかも主観的意味内容を含んでいる。といった、身心合一的認識でもあろう。
さらに森田は、
「吾人の身体及び精神の活動は自然の現象なり。人為によりて之を左右し得べきに非ず。然るに人は皆、之を自己の意の如く、自由に支配(得べしと信ずるものなり、特に精神的のことにおいて然りとす」
と述べ、宇宙的自然現象と同じく、人の心の自然もまた恣意的にこれを作為することのできない現象であり、それが事実であることを強調する。また森田は、
「吾人の自覚即ち意識状態は絶えざる精神活動の流転中における局部局部において其意識閾に達したる以上のものを自覚し或いは微かに或いは強く、或いは深く記銘に残るものなり」
と述べ、また注意作用について
「私たちの健康な注意作用は應に無所往にして、その心生ずべしという言葉の通りで、注意がある一点に固着、集注することなく、しかも全精神が常に活動して注意の緊張があまねくゆき亘っている状態であろう。この状態にあって、私たちははじめて事に触れ、物に接して臨機応変、すぐに最も適切な行動でこれに対応することができる」
と述べている。また、
「主観と客観、感情と知識、体得と理解とは屡々甚だ矛盾、撞着することがあり、決して同一視して取扱うべきものに非ず。然るに此らの別も本来に遡れば固より同一のものなり。唯これが分化して神経質症状になるに至りて甚だしく懸隔を生ずるに至ること、・・・・。また所謂悟りとは此の迷妄を打破し客観と主観、外界と自我と相一致するに至るを云う・・・・」
森田の以上の説明から分かることは、人間の精神活動はその本性として自然に発動する生の力によって生活適応へと発展するものであり、その意識の流れは刻々変化しながら、その目的への体勢をとるものである。しかも、その意識の流れの過程は自然な状態であって主観も客観もなく、唯そこには動的な自己発展の過程が直観的にとらえられるだけであるということであろう。
この不断進行の自然な意識の流れという点は、森田がジェームスやベルグソン或いはミンコフスキーに共感した所であろう。しかし、森田にはそれらとはまた異なった認識への深まり、つまり現象即実在としての現実把握が直観されると同時に、この状態こそが真の自覚であり、人間としての自己本来の面目であるという認識が展開されてくる。つまり、森田も当初は主観・客観の二項の図式を念頭におきながら、いつしかそれを離れた所で、主客未分化の意識、二即一の直観的思惟が基本となって上述したような自己と外界との内面的関係を純な心の自覚として把える。しかも、その時間においては、個人的我としての主観も客観もない真に自由な心の働きがあるだけであるという認識に到達する。森田がいう事実の意味はそこから具体的に展開されてくる
その基本的な考え方があってはじめて森田の神経質に対する病理観や治療理念がはっきり見えてくる。つまり、神経質者の病理の中核である思想の矛盾ととらわれは、現実そのままの不断進行の意識の流れを、その流れの外に立って反省したとき、その現象を現象としてそのままに受けとらないで、気分や理知によって「斯くあるべし」として意図的にこれをはからうことからそれは生じてくる。そうなると主客合一の心の働きは失われ、主観と客観、感情と知識、体験と理解など、見るものと見られるものという二項の分節によって自然な意識の流れは停滞してくる。そして反省と作為という分別知がますます強化されてくるにつれて、神経質としての思想の矛盾ととらわれは著しいものとなる。森田は四次元の世界としてミンコフスキーの時間の概念に興味を寄せたが、それは生きられる時間の流れの停滞による意識の空間への定位としてとらわれの現象を考えることもできる。
また、森田が無所住心にしてその心生ずべし、としたその意味もそこにある。つまり、注意がある一点に固着すると心の働きは偏在し、臨機応変に心を作動さすことができなくなる。そうなると、感覚、気分であれ、反応、行動であれ、自己と外界との内面的関係は、その事柄自体の意味を失い、真実への直観とか自覚を離れた怖れや不安に満ちた批判が定着してくる。森田が神経質人格の特性として気分と理知、ヒポコンドリーと内省を本位とする心の構えを挙げた理由も、この分別知をとり易い傾向への発展と関係がある。
森田はまた、精神活動を通しての人間理解を次のように見る。即ち
「精神の研究は之を外界と自我との相対の間に求め、其の変化流転の内に研めざるべからず」
とする。さらに、
「精神の病理は精神・身体・外界の上に立って考える必要がある」
また、
「精神を説明するにフロイトの如く目的論的となるを慊たらずと思い常に必ず之を自然現象として科学的に如実に観察せんと欲す」
と述べている。この森田の考え方を敷衍化すると、人間の精神現象の理解は、精神・身体という個体的の条件に留まらず、外界の条件との関係において科学的にありのままに之を観察するとこが必要である。従って、人間の行動への接近は、目的論的に何らかの意図からこれを解釈することはこれを極力避けなければならない。その先入見のない精神現象の観察によって初めて、その行動がいかに自然であるかが直観できるとする。また森田による人間の自然とは、本能的、生得的ではあっても、それは全て本能そのままの生物的、衝動的なものではなく、生活状況のなかでその適応を志向する自由な意志決定がなされるのも自然であり、それが本性のありのままであるという理解である。森田が「適応とは習慣である」と述べるものは、個人的にも社会的にもいえることであり、それは本能的なものとの間における緊張関係のなかで不断に変化しながら自ら身につけていくものと解される。
森田のこの人間における自然観には、生得的な運命観と社会文化的条件による学習的なものという二律背反的とも思われる矛盾があるが、それを止揚したところに森田の人間性への理解の特徴がある。
この傾向は次のことにも窺える。森田は先にも触れたように、意識活動をまず主観・意識あるいは自我・主体の図式から意識における変化の強弱として自覚を論じたが、それは自我の働きを主体とする主語的論理であるにしても、それはまた、自覚を自己の意識の働きの場における諸変化そのものとして受けとめるもので、森田が
「主観とは意識そのもの、その事柄自体であり、批判を離れた直観もしくは自覚そのもの」
と述べているように、意識の場の変化そのものの直観が自覚であり、それは自我主体の働きであると同時に、意識と意識たらしめている身体の場が森田の認識の基本になっている。
以上、森田の思惟の基本と人間観について述べてきた。これを要約すると次の表示(表4)のように纏めるとこができる。
表4
| 1 | 人間には生成へと向かって絶えず変化・流動して止まぬ自発活動としての生の力が内在する |
| 2 | 人間のその精神現象は宇宙自然の現象と同じく、その内的秩序の法則に従って変化するものであり、それが人間に備わる自然であり、本性である。 |
| 3 | 人間が生に関わるとき、主観的には生の欲望と死の恐怖を自覚する。そこに生活適応性への調和と均衡が自然に生まれてくる。 |
| 4 | 人間の自然な調和作用とは、本性のものであると共に、外的秩序との関わりにおいて、主観的には努力において獲得され、内在化された自由な働きでもある。 |
次に森田が自己の治療の体系化に努力していた頃の時代的背景について付言して置きたい。
森田療法を体系づける上で森田が参考にしたと思われるものに、ビンスワンガー、デュークホフの精神療法梗概があるが、直接の契機となったものは、チーエンの神経衰弱性精神病質性体質に関連した森田の二例の治験例の報告であったように思われる。この中で、後の森田療法に関連する多くの示唆に豊んだ事項に森田は言及している。例えば、発病に関連する体質乃至素質の重要性、身心の鍛練、説得の不得策、養育過誤の弊害などへの注目である。この論文は、1909年に出されたものであるが、当時の動向を具体的に知る上で次のような挿話を二、三挙げて参考に供したい。
ビンズワンガー.L、は彼の著「フロイトへの道」のなかで、森田と同じチーエンの体質をめぐって、フロイトとの書簡のやりとりで「われわれにとって、それは何の進歩ももたらされないもの」としてフロイトから強く非難された。しかし、その後、フロイト八十歳の誕生日での対話で「破壊的運命にさらされた時、神経症に逃避する道を選ぶか、自己の均衡を保つ道を選ぶかという自由な道が残されていますね」と彼がいった時、フロイトは意外にも「体質が全てです」と答えたということを述べている。この時間をおいた二人のやりとりのなかで、私が興味を感じたことは、フロイトが当初、進歩をもたらさないものとして退けた体質問題を、森田はこれを採用し、後の森田神経質説の基礎としたところにある。
この1909年という年は分野は異なるが、日本においても柳田国男が民族学誌を発刊した年であった。また、森鷗外が、性欲の発達心理学的展開を自分史的に画きヰタセクスアリスとして発表し、大きな波紋を呼んだが、彼の立場などが災いして間もなく発禁になったことは周知の通りである。鷗外の基本的考え方には、人間的苦悩の問題を森田と同じように自然科学の教える認識のなかに解消させようとしたところがあったが、当初の彼の意図と違って、やがてそれは文学の領域に展開させて行ったと思われる。当時は、自然主義の著しい興隆の時代でもあったが、しかし、鷗外は人間の本能や衝動のところには真の自然はなく、意識的思のなかに人間の心の自然はあると考えたようである。
夏目漱石もまた同時代の人である。彼は1908年に「三四郎」を、翌年に「それから」を発表した。その作中で彼は、若い男女の性格や人間関係を介して無意識の偽善の心理を画き、また主人公が人間のもつ本然の性に気づく過程の心理描写を試みた。晩年に漱石が則天去私の思惟を主張したことは、森田の考え方と共に基層にある文化の共通性が感じられるし、当時の日本の文明思潮の動向を窺う上で興味深いものである。しかし、近代の西欧的思考の浸透した当時の文明世界の最先端に位置したと思われる人たちですら、彼らの感情生活の基層に働くものが、やはり伝統思考であったことに改めてその土着性の根強さを痛感するものである。
本章の最後になったが、森田療法が創始されるに当たって直接森田が治療的交流をもった同時代の人たちの心性の背景について考えて見ることにする。
表5
| 精神病ノ感染ニツイテ | 1904 |
| 偏執狂ニ就テ | 1908 |
| 精神療法 | |
| 精神療法の話 | 1909 |
| 神経衰弱性精神病性体質 | |
| 神経質の話 | 1919 |
| 神経質の療法 | |
| 精神療法ニ対スル着眼点 | 1920 |
| 精神療法の基礎 | 1921 |
| 神経質の療法 | |
| 神経質及神経衰弱の療法 | |
| 神経衰弱性ノ本態 | |
| 神経質ノ本態及ビ療法 | 1922 |
| 精神療法講義 | |
| 神経衰弱及強迫観念の根治法 | 1926 |
| 変質者ノ分類ニ就テ | 1927 |
| 神経質の本態と療法 | 1928 |
| 神経質の概念 | 1932 |
| 神経質療法への道 | 1935 |
| 神経質への精神療法 | 1937 |
森田療法が創始されるまでの期間(表5)を森田の記述から想像すると、広義には1904年に森田が精神病の感染つまり心因性について言及した頃から、森田療法の完結的原典ともいえる「神経質の本態と療法」を出した1922年までの間である。また狭義には、上述した1903年から森田が「神経質ノ本態及療法」を学位論文として著した1922年までの期間と考えられる。いずれにしても、この時期の日本の社会的状況は、日露戦争と、そのさらに10年後には第一次大戦という日本の国自体が近代国家への位置づけと富国強兵の政策に懸命な時期であった。また文化思想的には明治の啓蒙思想に続いて、世は大正デモク ラシーという第二の啓蒙期に相当し、良い意味において民衆化の台頭、民衆的なものの復位の運動が興隆する民業主義の典型的な時期であった。つまり、民衆自身が主体となってその思潮や文化を担って行くような力があったし、また個人意識的心情への目覚めでもあったように思われる。それはまた、転換期の諸現象を挟んで個人の意識にしばしば好奇心や羞恥感、他者への思惑の重視などと共に煩悶や懐疑あるいは挫折感などを生じ安い気運でもあった。
しかし、大勢としてのこの民衆の生活意識の価値化は、西欧の物質文化との二重構造のなかで、主として日常的な生活規範に求められる。それは加藤(周一)が指摘するように、具体的な感情生活の深層に働く土着の世界観の執拗な持続と、そのために繰り返された外来の体系の日本化によって特徴づけられる。つまり、大部分の日本人は進歩的、反進歩的なさまざまの制度上の枠づけや習慣によって生活の方向づけはあったにしても、土着文化の内在化された生活意議、例えば自己向上、尅己、勤勉、正直、倹約、謙譲、忍従、献身あるいは協調、和合などの意義が同時代の通念として社会生への適性へ集約され、それがまた自己実現でもあったと思われる。つまり、近代の西欧文化の受容によって、物質文明の興隆や進歩的な知識の展開はあったにしても、それは西欧文化のうちでも量的なものに殆ど限られ、文化的思考のダイナミズムはその例外であったように思われる。日本人の好奇心とか知識欲によって吸収と続合に寛大さを示す反面には強い抵抗もあり、形や断片の取り入れはあっても質的には基層の文化やその世界観の継承が害われることはなかったようである。このことは森田療法の成立事情や治療的方向づけがそうした生活意識と無関係ではなかったことを思わすものでもある。
以上のことは、森田療法が始まって10年を経た今日においても日本人の感情生活の基層に働くものは何かということを考える上に重要な意味を与えるものでもある。一昨年の本学会で、池田が詳述した現代青少年の意識スペクトルは、無規範化への傾斜と情緒的耐性の低下を強く示すものであったが、それが直ちに現代人の感情生活を支える基層の支化として受けとめてよいものか否かは、私には全く不明のことという外はない。しかし、そうした現象と同時に、現実には日常の臨床場面において、森田療法の治療を積極的に求める症例数は決して少なくはないし、また生活の発見会の現状はこれを裏付ける一面でもある。その意味において、古くして今も新しい治療法としての森田療法は、それに関わる治療者の主体的な意識の在り方によって、将来への継承と発展が約束されるように私は考える。
3-3. 森田療法の治療の場と治療者の役割、特に治療者・患者関係における不問について。
次に私は森田療法の治療の場について考えて見たい。従来からこの問題については、治療者の役割とか治療者・患者関係の問題と並んで殊更掘り下げて考えられることは少なく、むしろ森田療法という治療システムの舞台裏を支えるような意味として全体の過程のなかに組み込まれてあった。そのことは森田の説明にもあるように、森田療法そのものが患者の生活指針とか行動が中心の構成となっているからであろう。しかし、実際の治療過程ではこの治療の場や治療者の問題が重要であることは自明なことであり、徒来、これが考察の対象外に置かれたことが不思議なことでもあった。
私がここで、この問題を取り上げた理由の一つは、次のことによる。即ち、森田療法の治療技法とは、言語的交流よりも行為的交流が主であること、つまり、聴くことよりも見ること、話すことよりも行動することを優先させ、それを成立さす治療法であり、したがって治療者の役割とその場の問題が必須なものとなると考えるからである。
説明の便宜上、治療の場を次のように分けることにするが、ここでは物理学的空間の場、行動心理学的生活空間、あるいは現象学的な生活世界などの概念との関連は触れないで置く。
1) 自己が生きる根拠としての場
2)今・ここに・私としての場
3) 他者と共時・共感的世界としての場
3-4. 役割発揮の場
以上をまず治療過程との関連から説明する。ひとが生に関わるということは、そのこと自身、生命の力の現れであり、意議的には自己を自己たらしめる場が必須となる。それは自己を根拠づける場であって、他のどこかにそれを発見するというよりは、まず自己においてそれに気づくことである。それは森田のいう純な心、本来の自己たらしめる場である。そのことは次の今・ここに・私としての場に関わってくることは当然である。
森田のいう自然に発動する生命の力は、社会的な種々な境遇の刺激に触れて初めて発揮され、身の活動現象として自覚される。この身の現象が生そのものの現れであるが、森田の説明にもあるように、それは点、線、面、厚みそして動きという変化、つまり空間と時間との関係において現象している。それは時々刻々の絶えざる変化流動であって、欲望も恐怖も不断に変化・消長的に出没し、これに拘泥することもそれを保留さすこともできない生滅無常なものである。それこそ、今という瞬間の私の生を生たらしめるのはここというこの場である。
さらに、今・私をここにおいてあらしめる場はまた、見る、聞くそして触れ行うという身そのものの体得を促がす媒体としての場であり、それは他者の示す身の現象と共時・共感的な相互伝達の場である。これは点や線と同じく、それだけではここと具体的に指示することができない無の場であるが、それ無くしては、中村の述べるように、相互の体性的イメージ性あるいは相互主観性を身に受けることのできない場である。それは市川の述べる、身の中心化から脱中心化へと身のパースペクティブの交換という構造が生成されて行く場である。その相互交換的深まりによって、自己が自己において自己を見ることができると同時に、自己が自己において他者を見ることを可能にする場でもある。治療者である先生は文字通り vor. leben しながら患者に現前する。それは何気なくあるもの、あるいは隠れてあるものを、気づかなかった場において自己を映し、それを再び自己において映しとる相互交換性の場である。テレンバッハの言葉を借りれば、精神的出会いが具体的な形をとる雰囲気としての場といえるかも知れない。それは共時・共感的な気としての雰囲気に外ならない。
芭蕉の旬に“山路来て何やらゆかしすみれ草”というのがある。それはふと目にふれたすみれが可憐な花を自らの生そのものとして精一杯に現している、
その自然そのままの袋を、芭蕉が山路のその場に嘱目したというよりも、自己においてそれを映しとったものと私は思う。それは発見には違いないが、芭蕉が見るという主語の世界というよりは、共時的場という述語の世界の気づきでもある。
その時は見るものと見られるものという分別はなくなり、自己において自己がすみれと一体化した自己を知る純粋経験として自覚されるだけである。
鈴木が「打ち込み的助言」という治療者の助言が助言として生きるのは、それを自己において映しとるこの共時・共感的直観の場があるからである。森田が引用した同時もこれに当たる。
聴くことより見ること、話すことより行動することによって、治療の場は他者において他者を見るというより、自己において他者を合一的なものとして直観的に把握するのである。最後に私が役割の場というのは、次のような意味のものである。
自己が生に関与するということは、そのこと自身が一つの役割をもつことであるが、その役割は抽象的な社会的役割というよりは、森田のいう生命の力の主観的展開の一つである。森田が周囲の環境との関わりのなかで自己を見つめるというように、自己が他者との共時・共感的場において自己を肯定するようになればなるほど、自己はその役割の場において自己の役割を現すこととなる。そのことは自己の社会的成長を促がし、それが自己同一性としての自己実現となり、また役割同一性としての社会適応への過程を促進することとなる。
以上のような場はまた、はからうことを止揚して自然のままの自己の心に従い、やるべき役割の行為を履行し、その成果を事実のままに受容するという学習の形を新たに身につける場でもある。ここで少々付言したいことは、形ということである。日本においては、この形は客観的に捉えられるというよりは、主客合一的に捉える傾向にある。つまり、日本文化の形である。自己がその形化する場とはそれと一体となって主体性を表すその瞬間であり、そこに外相背かされば内証自ら熱すといわれるような自己超越の過程がある。森田の形外もこのように理解されるし、森田療法の生活実践・作業というのもそれに関連するように思われる。そこに形を超えた心の生成があり、今まで述べてきた場もその意味で森田療法の本質に関わるものといえよう。
以上のような治療の場の意味を踏まえて治療者の役割と治療者・患者関係について述べて見たい。
森田療法の治療過程は、治療者・患者の人間関係におけると同時に、生活行動の過程にも展開されてくる。その場合、治療者は患者に対して精神療法一般に共通するような「聞き手」としての態度ではなく、敢えて「聞き手であることを断つ」態度、つまり森田のいう不問を治療的技法の特徴とする。このことは、言語・行動という二項の区別を越えた治療者の関わりを基本としている。この技法を前提に治療過程は進行するが、そうした治療者の態度の背景には、患者の症状の止揚と忍受が治療的要点となっていることは森田の説明の通りである。このことは既に述べたように、患者の症状の病理とそれを含めた森田の人間性の理解に支えられたものであることは自明のことである。しかし、そのことを一層促進さすものは、森田療法の治療者の多くが自ら神経質の体験者であることに基づいて居り、そのことが患者への共感や理解を容易にしていると近藤(章久)は指摘している。それは治療者の過去における事実の一面を示すものには違いないが、精神分析療法に見られる教育分析のような専門治療者の必須条件として一般化されるものではなかろう。むしろ、森田療法においては、患者の症状が示す感性的体験のイメージは、治療者と患者との間の共通感覚的心性ともいえるものが基盤になければならないはずである。この両者間の共感性の存在が森田療法の技法的特徴としての不問、つまり聞き手であることを断つ態度を比較的無理のない自然なものとしている。このことは、森田療法が現代の治療的技法として、つまり、それが心の自然な法則に適い、積極的な働きが加えられ、しかも目的が明確であるという基本の条件に適ったものとなっている。この治療的技法への理解に立って初めて不問の意味が深まってくる。
森田は、殊更に不問に付すことで患者の拘泥を断つと述べているが、聞くことを敢えて断つことは、そこに「間」という沈黙を置くことに外ならない。この間とは、あいだ、あい、すきま、拍子の移りかわる折、ころあい、しお、機会などを意味し、ある事象から次の事象へと移り変わるつなぎを表す言葉である。しかも、そのつなぎは空間的、時間的な意味において広がりと流動という変化の構成をもち、その中で生々とした活性を蔵している。したがって、これは単なる言葉の中断を意味するものではなく、いわば音楽における律動に託されたあるテーマがPauseの効力によって瞬間、その本来の生命を表すように、人間相互のかかわりの中でしばしの沈黙を通して自らを啓き、成長する契機であるように思われる。
また、森田療法におけるこの間は、治療者と患者とのかかわりに、心理的距離を置く上で意味がある。森田療法の場合にも治療者は患者に対して親しんで慣れざる態度をとる。しかし、森田は治療者にそれについての説明は殊更してはいない。ただ患者の治療者に対する反応として、先生は恐ろしいという気持ちと先生に近づきたいという二つの気持ちの相反する心の葛騰が、自然な人間の心であり、そこに精神の不安定な安定があると説明している。それと相対的に治療者も付かず離れず、随時の変化を保ちながら、患者に接するかけひきか、適切な治療者の働きであるとも受けとれる表現のように思われる。
このように間という空間的、時間的な、あるいは心理的な距離を適時に持つことによって、自己が自己において自己を見るという根拠を与えることになる。
森田が理知を働かせて症状をそのまま忍受させながら、自己のやるべきことを履行させる治療的操作は、この間のもつ心理的意味を有効に使うことで、より広く深いものとなる。患者側からすると、問わぬ、問い返さぬ態度が強いられるし、治療者も殊更、聞き手であることを断ち、敢えて捨て置く態度をとる、この不問の技法が最も顕著な期間は、第一期の臥褥期と次いで第二期の軽作業期ということになる。北西はこれを一人の世界、二人の世界と表現しているが、それは集団内生活を規準にした治療者・患者のかかわりの見方であろう。しかし、私は、いずれの期間も、治療者・患者間の関係は間という沈黙の関わりであることに変わりはないと考える。いずれにしても第一期においては身の活動が全て基本的な生活条件内に枠づけられる。言葉も行動もない閉居の中で自己が自己を見つめる条件だけが与えられ全ての治療的手だてを奪われ、どうすることもできない状態に置かれる。今まで、症状にとらわれ、それから脱するために殆どの精力を使って訴え続けていた患者が、臥褥という不問を機会にその不安や苦痛の訴えを封入されるその間が、患者にとって意味のあるおりとなり、次の状態へ移り変わることになる。その意味で、この「間」をとる不問の治療は、それに替わる沈黙の関わりを持つことで、患者が自己において自己を見つめつつ、そこに躍動する生の力そのものを純粋自覚する契機を供することになる。また、問うことを断たれ、自己の役割行為を履行するという方向性は、それは主体としての自己が、聞くことよりも見ること、話すことよりも行動すること、あるいは 拱手するよりも触れることを優先することになる。そこに人として直接、自らの生にかかわる共時・共感的場が啓けることになる。それが行割行為の履行という自覚に導き、自己と他者との相互交換的な主体としての認誠を深めるきっかけとなる。患者は一人の世界、二人の世界そして三人の世界へと移り行きながら集団的統合への回路が開かれ、働くことと働くことの結果と自己とが一体となる瞬間の自己を直観する。それは患者の意識に治療者の不問の操作の意図が言葉ならぬ言葉を与え患者の心を活性化する契機となったものと解される。
そのような生活の形としての学習が進むにつれ、患者は内面的統合への回路として、自己受容の根拠づけとなる雰囲気が醸成されてくる。この瞬間が今・ここに・私としての場であり、鈴木のいう助言が真の助言として生きてくるカイロスと考えられる。
3-4. 森田療法の治療目標
森田療法の本質に関連する最も重要な事項は治療目標の問題にある。
森田療法の治療目標を一言でいい表わせば「本来の自己になり切る」ということに盡きる。森田自身、この療法の主眼はなり切ることが最も大切な条件であると述べているように、症状をそのまま忍受し、自己のなすべき役割行為を果たすという生き方の自己受容である。それが人間としての自己本来の姿であり、森田のいう有りのままの生き方である。森田療法のこの目標は次のように展開される。即ち、
1)症状を不問にしてこれを忍受し、現実生活に直面する姿勢への転換
2)自己本来の性への回帰とその受容
3) 自己の性格の長所の発見とその助長及び感性的耐性の鍛練
4)自己の生を尽すことへの不断の努力
私たちはこの森田療法の治療目標は、その将来への展望としても妥当性と価値性の高いものとして受けとめてきた。その理由は、人間が自らの生に関わる苦難に対応する上で、この人間像は普遍性のある望ましいものと考えたからである。しかし、激動する社会文化の現状のなかで、森田療法の本質とその発展性が改めて問われている今、この生き方の妥当性をこのまま受けとめてよいものか否かが課題として残されている。
今から30年前、カレン・ホーナイが来日した折に、新人の私は彼女の”新しい精神分析学の発展”という講演を聴く機会を与て、非常に感銘を受けた記憶がある。その内容については高良によって程なく詳述されてあるので、ここでは触れないが、その折、ホーナイから次のような発言があったことは印象的であった。彼女は多少控え目ではあったが、日米文化の違い、特に日本の伝統文化を背景に、治療者・患者の人間関係の差や自我の在り方の差などを考慮すれば、彼我の異同を遽かに取り上げて論ずることに躊躇するものがあると述べたことである。新人の私にもその発言は極めて正論として受けとめられたものである。ところで、こうした自我の在り方について、現在でも日本人の思惟には、西欧型思考のパラダイムと日本型のそれによっていわば重層的構造として半ば無意識的に支配されているためか、論理的思考と現実生活での志向性では相矛盾した発想が自然になされてしまう傾向がある。つまり科学技術や社会制度の形態的類似性を除けば、個人の行動や思考のダイナミズムにはやはり多くの差異が随所に見られるのは当然のことであろう。この事実を踏まえて、日本人の自己意識の在り方や生き方の妥当性や価値が問われるのが正当な考察であろう。
それにも拘らず、西欧思考を唯一の尺度として森田療法は今までも多くの判がなされてきた。例えば、加藤(正明)は森田療法において「自然に服徒し、境遇に従順であれ」ということは、社会現象を自然現象と同様に受けとり、人災を天災と同様に受けとるように民衆を教育してきた前近代性倫理の反映であるとし、西欧の個人主義にもとづく個人の運命に対する責任をもつ考えとは対蹠的である。と述べている。また土居は、森田療法が「あるがままになる」とは周囲の保護から隔絶されておびえている自我を今一度、周囲に融合させることである。といっている。
ここで、前近代性倫理とか、周囲の保護から隔絶されておびえている自我と表現される内容について、いささか考えて見たい。そのことは森田療法の治療目標、特にそれに係わる内容の比較や吟味に無縁ではないと思うからである。
一般に、社会文明史の視点から個人と社会との関係を見ると、まず個としての自我はどのように陶治され成長していくかという点にその鍵があるようにわれる。要点をいえば、西欧的に近代化された自我の在り方は、個人主義的であることに基本の姿勢を置いている。それによって個人の意識は強化され個人としての自己が生きることに係わる不満や葛藤を自分の責任において対処しようとする意識が優先する。そこには社会や共同体への依存や埋没することから離れることに自己の生を肯定する意識、つまりそのことに自己実現の価値を問う態度が特徴となる。その原型的思考が自我独自性としての存在理由となる。
このような視点に立つと、日本人一般としての自我は、通説のようにそのエゴの境界が弱く社会や共同体からの浸透を受けい。したがって、集団に依拠し、あるいは人と人との間柄に枠つけされながら自己実現の価値を求める思考である。したがって、他者から分離されることは個人の意識にとっては自己を失う危機感につながることにもなりかねない。そのことは日本人が親密な関係者たちとの長いかかわりを通して生長し、他者や集団に和合し協調することに価値を見出す過程で成長する。この原型的思考は我を止揚する自己の在り方を根拠とする。
しかし、この両者の比較はあくまで個人の成長に関する原型的思考の文化的差異であって、近代の西欧文化的原理にのみ限定した判断は、その点に限っていえば正当な吟味にはなるまい。したがって、個人がどのような形で社会に参加し、他者にかかわり、そして協調して行くか、またそのことが個人の成長にとってどのような影響があるかという社会と個人との相関は、それぞれの文化国において吟味されてこそ意味が深まるものといえよう。その上で改めて超文化的な意味をさぐる努力が西田の指摘するような、普遍の上の特殊として位置づけられるのではなかろうか。このことが最初に述べた人類共通のものとしての相補的意味といえよう。
次は土居のあるがままについての見解に触れて見たい。彼は、周囲から隔絶されておびえている自我を今一度周囲に融合させることが森田療法がいうあるがままであるという。しかし、それは森田療法の実際からするとかなりの隔たりがあるように思われる。上述のように土居の指摘は、日本人の意識には他者との融合的な依存関係において自己実現をはかる傾向が優れていることは確かなことではあるが、その融合が絶たれておびえている自我を再び融合へと戻すことが、直ちにあるがままの生き方であるとは思われない。
あるがままの状態とは森田説の機制の要点ともなる思想の矛盾と対置される事実唯眞の在り方である。これは分別知の介入のない事実そのものを有りのままに心に映すことであり、これこそ真のあきらめに通じるものでもある。一般にあきらめとは、とても見込みがないから仕方がないと思い切る、断念するという意味に使用される。しかし、諦めるとは本来は、明らかにする、審かにするというように、悟りに通じる意をもつ。つまり、諦めとは梵語のsatyaの訳として使われ、眞理の意であり、仏教の実践的原理を示すものである。つまり苦集滅道の四諦で釈尊の説法とされたものといわれる。つまり人間は生きることにかかわる苦悩や無常、執着を越えるためには正しい修行を経ることを原理とすると説くもので、その実践を通して本来の自己を知るというものである。
森田療法のいう、真の自己に成り切るとか、あるがままの境地とはこの意味の諦めである。唯、断念するというあきらめではなく、自己が自己において自己を知る、つまり明らかにすることであり、純な心の展開である。それこそ自己の自然な心の働きに任せ切った状態を着すものである。
この状態こそ自己に内在する生の力が最も発輝され易く。主観的に人は建設的に自己実現へと努力する。
以上のことから、周囲から隔絶されておびえている自我を再び周囲の融合へと戻すことがあるがままの状態であるという土居の考えを森田説のあるがままの状態と同一視することに私は納得し兼ねるものがある。仮にそれを一歩譲って、森田のあるがままとは健常者の出発点へ辛ろうじて戻り得たに過ぎないものとの見方をとるとすれば、森田療法の治療状態とは、いわば症状治癒という極めて表層の変化となり、再発もまた屡々見られるはずであるが。現実にはそれが非常に少ないということは、そのことをどのように解すればよいのであるうか。
森田療法に対する批判には、これに類するものは少なくなく、それらにはあきらめ、服従、忍耐などの事項が多い。しかし、何れにしても、あきらめること、耐えることというような主として自己の苦しみに対処しようとする態度はあるがままであろうとするはからいの域を出るものではなく、本来の自己に成り切った状態とはいえまい。森田が、単に忍受という事を心構えとして治癒した強迫観念は、しばしば再発の恐れがあるというように、これはなお、自然の自由な生活々動ではなく、「治らずして治る」(倉田百三)という表現もまた、心の欲望と恐怖の調和は十分に行われていないものと思われる。
森田療法の治療目標が、本来の自己に成り切る状態へ指向されることは、それはありのままの生き方への過程であって、その意味で個人の成長へ結びつくものである。つまり、社会や生活共同体の場で、自己の本性に従って自己を表す努力は、それが自己実現としての自覚と、社会適応性の実感として他者と協調し他者との関わりを自然なものとする自己受容が可能となってくる。これが、現実生活の肯定感となって森田が人生は希望であるというように、自らの生を発揮し、自己向上の路を志向する努力の姿として映しとられるのである。こうして日本で創始され発展してきた森田療法は、今までに多くの批判はあったにしても、日本人の自己意識の在り方に自然に働きかける治療法であった。しかし、こうした治療指向性が他の文化圏特に西洋的文化原理のものに対してはどのように受けとられるものであろうか。
D.K. Reynolds が述べているように、西洋の精神療法家は患者を外部の負担による被害者と見做す傾向があるらしい。その意味からすると、個人は苦悩や症状を自らのものとして忍受し、しかも自己の役割行為を履行するという治療への方向づけは、従来の治療家や患者も馴染めなかった筈である。しかし、ホーナイは既に、個々の症状の除去より人格の問題を重視し、建設的な自己実現への治療的方向づけを強調した。Reynoldsもまた、米国において森田療法の「今に生を尽くす」治療原理を下敷きとする体験的指導を普及させている。
即ち、現実に直面して生じる種々な苦難を心の事実のままに受け入れて、建設的な生き方の体得を生活実践を通して促がす生活指針が実績を挙げているという。この実情については谷島の記述があるが、彼によると米国で森田療法を実施するに当たって、治療者と患者とのラポルトの形成に強く留意することが肝要であると強調している。このことは既にホーナイも触れたことであるが、日本においても治療者にとって森田当時以上に考慮されるものの一つとなっている。
いずれにしても森田療法は、近年とみに異なった文化圏でのその登場が話題となるようになった。大西らの報告もその一つである。しかし、それについてはやはり、当初とり挙げた個人とか自己意識の問題がやはり懸案のものとなることは否定できない。
近藤(喬一)がPandeの考えを披露しながら次のような意味のことを述べていることは、森田療法の将来にとって示唆的である。つまり、西洋社会の科学的世界観を反映すると思われる正統的な精神療法においては、治療家は一般の西洋における文化的信条、即ち自分自身の信念で問題を解決するという真の個人主義的姿勢からすると、背馳する方向へと治療的行動を余儀なくされる、いわば逆説的な social agent であると。このことを日本社会に当てはめて考えてみると、森田療法における治療者は(患者もまた)誠に日本の文化的条件に適合した矛盾の少ない治療行動をとるものといわざるを得ない。しかし、ひるがえって森田療法が最終的に目指す、本来の自己に成り切る有りのままの自己実現へ、自らの選択と決断によって努力するという治療目標は、これまた西洋社会においても決して抵触するものではあるまい。そこに建設的な自己確立という生活指向が普遍的に生かされてくる。
3-5. 森田療法を貫く思想の特質
森田療法の治療目標が「本来の自己に成り切る」こと、つまり「あるがままの生き方」であるとすれば、それを支えるものは森田の人間性についての考え方であろう。
森田のその基本にあるものは、繰り返すことになるが、人間が自らの生に関わる時に自覚する欲望と恐怖の二項間の緊張関係にそれは発している。それは期待と不安、希望と失望、喜びと悲しみ、あるいは楽しみと苦痛などの対置的感情の関係を内包しつつ、その調和と均衡のうちに生成流転する人間の生き方といえよう。森田が「人生は希望である」といったその気持ちは、希望そのものというよりは、その背景には必ずそれを実現さすことに伴う努力があり、苦痛があり、また不安があるという現実を如実に見た意味での希望に外ならない。
それを有りのままに受けて生きるとき、その人間の本来の面目が躍如として現われてくる。唯その時は「前を謀らず、後ろを顧らず」唯即今のわれに成り切った状態であり、何のはからいのない純粋経験としての自覚である。森田のいう思想の矛盾と対置される事実唯真がこれであり、その瞬間、瞬間における自然な心の態度である。
森田は、また雲門禅師の「日々是好日」についての説明のなかで、次のように述べている。即ち、「今日は何もしなかった、今日も碌な仕事もできなかったと嘆く。その嘆きというか、欲ばりというか、そのはやる心が私の最も発溂とした心であり、欲ばり、欲ばりする心こそ、日々是好日なのである」と。
この森田の考え方の本意が「人生は希望である」という命題につながってくる。
森田の人間観はよく楽天主義的といわれるが、それは以上のことからも分かるように、いささか皮相的な判断である。それは生と死、陽と陰、光と影とのいわば木漏れ日のようなかげりを通した輝きを思わす人間像であると私は思う。それは決して灼熱の強さではないが弱くもなく、また閃光の明るさではないが決して暗いものでもない。ただ生々とした躍動するきらめきと不断の流動がある。
それは森田自身が治療者として、あるいは体験者として、自らの心への反省と洞察を通して、人間としての共通感覚的なイメージから神経質者の心性への共感が生まれたもののように思われる。森田がはからいのない、自然な有りのままの心に成り切った心とは如何に楽なものであるかは、治癒した人が始めて体験するものであるという時、森田自身のその心情が影を落して、彼の画き出す人間像と二重写しとなって現われてくるように私には思われる。こうした森田の人間観は、彼の精神医学的認識から発想されたものと、それを超える彼の世界観ともいえる人生哲学的認識が、その役割を果たしていることもまた、否定できないことであろう。彼の思想は東洋哲学的素養によって裏づけされてはいようが、それが形成される過程にはまた、同時代的思潮とか基層の伝統文化的風土も森田の思惟を構成する土壌として考慮されるものであろう。
森田の自然観についても、かれが「我執を捨てて自然に復る」という自然は、はからわず、有りの侭という人間におのずから内在する身の理によるものを指し、作為的なもののないという意味からは無意識的なもの、必然的なものである。天然自然のリズムが自らの法則性によって起こるように、身もまた自らの内在のリズムによる本然のものであると見る。この自然と自己との合一的発想は、すでに万葉の頃から自然はおのずからであり、それはまたみずからでもあると考えられていた。こうして合一的自然観は気づくか香かによらず日本人の心に伝統的に生きつづけているように思われる。
こうした自然観に支えられた森田の人間性への理解は、先にも触れたように、人間へよせる全幅の信頼がまずなくてはならない。このことは人間が自らへ寄せる信頼でもある。
森田療法の目標とは表現を替えれば、この自己への信頼の回復でもある。つまり、一切のはからいを捨て自己に任せるということは、良くも悪くもそれ以外にないという、人間が自らの本然の性に任せ切れる頼にほかならない。それが、森田のいう「我執を捨てて自然に復る」ことになるのであろう。
この人間への信頼は、森田の観る人間性にその根拠を置くものであるが、それは情意を人間の本然の性としながら、それと同時に、自己の向上発展への建設的欲求をもア・プリオリに内在するものとして認めようとするところにもある。この向上発展という表現のなかには、種々な価値観に基づくものはあろうが、森田はただそれを周囲の境遇に従って心を外向的に物そのものに向けるという考えが基調となっている。森田が述べるように、治った人は治らない人を見ると何とかし治して上げたいと思うその心の働きを重視する。それは自己反省にかかわる倫理性や他と協調してこれに奉仕する社会的秩序愛を通して、個人の社会への参加を願う心の現われでもある。
以上のように、森田の観る人間性は、中村元の述べる日本人の思惟としての自然法的思想と同時に、実学主義的傾向と相俟って、森田が自然料学的認識の現点から人間の心にある自然を如実に見た結果の現われであろう。それが森田療法を通して、森田がより実利的、実生活中心的認識へと志向する現実直視と実践的体得を優先する行動体系を創り出したものと考える
4. おわりに
森田療法の比較的穏れた部分に殊更、私は考察の目を向けてきた。それは森田療法の特殊なものを改めて強調することで、多少とも森田療法の本質をめぐって検討することができるのではないかと考えてのことであった。しかし、そのような方向へ注目すればする程、私の考えはそれから離れがちとなり、むしろ、なぜ今、改めてその本質が問われるのかという問題、それは翻って考えれば、森田療法が置かれている現状の検討こそ急務であるという考えに拘束され勝ちとなった。そうしたことから、今、私にいえることは、森田療法の本質については無論のこと、現状についての認識も、要はそれに関わる治療者のそれぞれが、直接の当事者として、これを考えそれぞれ各自の答えをもつことが必須であることを改めて痛感したことである。とはいっても、私の責任として、まず森田療法の本質をめぐっての考えを明確にしなければならない。私見として、私は、最初に述べたように、森田療法の本質はやはり森田療法の特徴といわれるものと不可分なものとして、その特徴を特徴たらしめているものと考える。そう規定した上で、それは森田療法を通して捉えることのできる森田の人間性についての理解とそれに基づく治療目標に含まれるものであり、それを上述の如く私は理解した。しかし、そのことは最初に述べたように、森田療法のいわば静的な部分に目を向けたに過ぎない。
では森田療法の動的なものとは何かが問われなければならないだろう。つまり、森田療法の現状と将来の在り方への態度決定にかかわるものである。私はそれを治療的技法と考えたい。例えば治療者・患者間の人間関係の在り方、患者がかかわる作業内容やその促進の方向と方法などである。無論、今、直ちにという訳ではないとしても、臥褥や作業という森田療法の特徴ですら時代の変化と共にこれに替わる治療技法を採用する時期がやってくるかも知れない。それは今の外来治療や発見会の生活指導などとは別な視点ではあるが、十分考えられることではある。しかし、森田療法の本質と考えられる(少なくとも私には)人間性の理解(これも変化して行くが)と治療目標が、たとえ新たな技法であるにしても、それを支えるものとして不易のものであれば、それは森田法といえるのではなかろうか。人間が生と死に直面し、人間があり人間らしい成長を目指す過程には神経症的苦悩は尽きないし、森田療法の存在意義もなくなることはあるまい。そのことは森田療法の創始から70年近く経った今でも、その存在意義がわらないのと同じである。現行の森田療法が森田の当時と変わったとして、それは形としての修正に過ぎず、本質的に変わっていないのが、その証の一つともいえよう。むしろ、興生院の阿部は森田の原法への回帰を強調さえしている。しかし、その一方では、現代における青少年の生活意識や生活スタイルの変化に伴い、森田の頃とは違った作業の質や目的にずれが生していることも事実である。慈恵大学の森田療法室でも最近では作業と人間関係からこれを役割理論から見直し、実施しようとしている。
私もその意味から森田療法の集団を生活共同体と見做し、行割行為を通して個人の自覚を深める集団的方法をすでに20年前から採用している。いずれにしても森田療法の変法は、徐々にではあるがすでに始まっているし。それはある面では避けることのできない状況ともいえよう。内村、藍沢あるいは渡辺らの治療的環境や治療構造についての実践的検討は、すでに森田療法の将来における見透しの上でかなりの示酸を与えている。
以上、私は森田療法の本質というもともと歯も立たない至難な課題に無謀にも直面してきた。その手続きとして、取り敢えず森田がたどったと思われる、この療法の樹立までの過程を原点に立ち戻って、具に観察することから始めてみた。その結果は今、述べてきた通りであるが、西欧的原理に立つ現代の精神療法が普遍的なものとすれば、森田療法はその普遍に対する特殊なものとしても、両者が相互に相補的な役割をもつことに将来の精神療法としての意義があると考えるものである。そのためには、時代の眞の要請を見抜く治療者の識見と技法とによって、ある程度は、真の意味での換骨脱胎も止むを得ないものと考える。
その意味で、私は森田療法にとって現状に即応したより効果的な方法が試みられるとすれば、その一つは、入院森田療法としては第一期、第二期は現行通りとして、その後を役割行為と集団計議を含めた集団療法として、これを再構成する。第二は、外来療法を小集団制の生活指導を中心とする面接方法を随時採用することである。但し、このことは、どこまでも私見であって私個人の認識に留まるものである。全ての決定は、現状における森田療法に対する治療者各自の認識が要であることはいうまでもない。私は森田療法を次のように理解した上で、上記のことを提案したことを明確にして置きたい。
1)自己を時々刻々と変化する周囲とのかかわりとして見つめる
2) 自己の症状をそのまま忍受する
3)自己の性格の受容
4)その容認を通しての自己の発揮と向上発展への実践的努力
5)自己に成り切る
