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>Top > 作品 >長靴をはいた獅子たち

 ■予告編
 ■解説
 ■クレジット
 ■企画経緯
 ■完成によせて
 ■上映会のお誘い



商品名:
長靴をはいた獅子たち
メディア:
DVD

税込価格:
14,800円
6,400円
JAN:4573188690029
商品番号:
D0028


数量:


「長靴をはいた獅子たち」と「屋敷番楽」を同時購入の場合の割引セット商品です。
商品名:
長靴+屋敷 お買い得セット
メディア:
DVD
税込
価格:
22,000円
11,100円
JAN:4573188690036
商品
番号:
D0029


数量:

文部科学省選定(成人向)

秋田県の山奥の小さな集落“屋敷集落”。そこに生きる人々の生活と民俗芸能「屋敷番楽」についてのドキュメンタリー映画。


 
人口80名の小さな集落。そこに生きる人々の生活と民俗芸能の物語。
 秋田県由利本荘市から鳥海山に向かって16km、電車もバスも通らない屋敷集落は、人口約80名の小さな集落です。兼業農家がほとんどの屋敷集落は、日本のどこの集落も直面している、若者の流出と高齢化という問題を抱えています。また同時に、集落のアイデンティティーともいえる民俗芸能『番楽(ばんがく)』を、いかに次世代に継承していくかという問題にもさらされています。両方とも出口の見えない議論の種ですが、集落の人々は『番楽』によって強く結びつき、今の時代をたくましく、かつ愉快に生きています。
 ドキュメンタリー映画「長靴をはいた獅子たち」は、そんな屋敷集落の人々の生活と、彼らが愛し、守り続ける『番楽』の1年を追った作品です。


 屋敷集落と民俗芸能『番楽』
 鳥海山のふもと、冬は雪に閉ざされますが、四季の豊かな自然に囲まれる屋敷集落。そんな屋敷集落は代々、専業農家による米作りが中心の集落でした。しかし昭和40年以降は、農業に機械が導入され、高額な農機具の購入、そして米価の下落も重なり、農業を生業とすることが難しくなり、すべての家が兼業農家となりました。労が多く収入の少ない農業、より高学歴を求める社会風潮も背中を押し、若者は成人すると都市へ流出する現象が、ここ数十年続いており、集落は高齢化の一途をたどっています。
 農業が集落のアイデンティティであれば、民俗芸能『番楽』も集落のアイデンティティと言えます。『番楽』は、それだけ生活に密着したものでした。
 『屋敷番楽』の起源は、江戸時代中期、天明3年(1783年)。当時の日本は、近世における最大の飢饉、『天明の飢饉』に見舞われていました。特に東北地方の被害は深刻で、腐乱した白骨死体が道端に積み上げられる程の惨状だったそうです。死者は7年間で30~50万人。屋敷集落もその例外ではなく、集落の人々は、これ以上の死者を防ぐため、近隣の荒沢村を訪ね、『獅子舞』を習いました。そして、それを集落に持ち帰り、悪霊退散、五穀豊穣を祈り、舞ったそうです。『獅子舞』は、その後の伝承の過程で、道化舞、武士舞などの 娯楽的演目も加えられ、いつしか『番楽』と呼ばれるようになり、集落の人々に愛され続け現在に至っています。秋田県の鳥海山周辺には、同じように多くの集落に『番楽』が広まりましたが、今では、ごくわずかな集落でしか継承されていません。

 そんな『番楽』は、集落の人々の祈りや娯楽としてだけでなく、集落の中で重要な社会的機能も果たしていました。昭和30年以前は、家の長男のみが継承し、『番楽』の継承組織に入ることによって、その集落で一人前と見なされました。組織の中では、師匠と弟子という人間関係が成立し、人間教育の場、人格形成の場でもありました。集落の人々は、『番楽』によって強く結ばれ、集落の絆を強固なものとしました。
 しかし、昭和40年代に入ると、兼業農家がほとんどとなり、勤務時間もまちまちで、練習に集まることさえ難しくなっていきました。加えて、集落の高齢化、若者の流出も手伝い、社会的機能どころか、芸能面の継承も難しくなってきています。そうして秋田県の多くの『番楽』が、途絶えていきました。昔のように『番楽』がコミュニティーの中で、大きな社会的機能を果たしている集落は、今はもう屋敷集落くらいでしょう。


ドキュメンタリー映画による現代の民話。
 ドキュメンタリー映画「長靴をはいた獅子たち」は、6つのエピソードで構成されます。
 獅子の誕生(種まきから田植えまでの物語)。獅子の心(『番楽』に育てられた青年の物語)。獅子の絆(『番楽』で結ばれた青年たちの物語)。獅子の舞(奉納と公演の物語)。獅子の祈り(悪霊払い『門獅子』の物語)。黄金の獅子(収穫の物語)。そしてエピソードの中では、秋田の自然の中で『番楽』が舞われます。まるで一つ一つのエピソードが、現代における民話であるかのように、集落に生きる人々の思い、人生、祈りが、美しい田園風景の中に、染みこんでいきます。


現代における悪霊払い、祈り
 リストラ、非正規雇用、ワーキングプア、格差、過疎化・・・・・。 
『天明の大飢饉』から、約255年後の平成の時代。平成7年から10年以上、日本の年間自殺者数は、毎年3万人を越え、依然、 減少の兆しを見せません。平成の世は、「精神性の飢饉の時代」と言えるのかも知れません。『屋敷番楽』が、飢饉という悲惨な社会情況に対する“祈り”から出発したのであれば、今の時代にも『番楽』の存在意義は大いにあるはずです。
 「長靴をはいた獅子たち」は、その土地の風土と、そこに生きる人々の生活、人と人との繋がり、そしてそれらと芸能の関係を見つめます。そして、作品自体が、現代における悪霊払いになればと願います。
 今も屋敷集落の人々は、様々な問題を抱えながらも、強く繋がり合い、たくましく、かつ愉快に『番楽』を舞い続けています。
 時代の不幸を憂い、人々の幸せを祈るために・・・・。


出演:屋敷番楽保存会、屋敷番楽集落のみなさん
企画・製作:「番楽」製作委員会
制作:(有)ランドスケープ
監督:野中 剛
DVD /カラー / モノラル / 145分
2011年作品



この企画を発案するに至った経緯

2007年12月

   ドキュメンタリー映画監督
野中 剛


○東北取材で感じたこと
 かねてから心理、精神医学を題材にドキュメンタリー映画を制作してきたぼくは、日本の自殺者数が年間30,000人以上という現実に関心を持ち、2007年、東北地方(青森、秋田)の自殺防止活動の取材を行いました。それを基に、日本の自殺問題に関してのドキュメンタリー映画が作れないかと思ったのです。
 東北では、青森県精神福祉センター所長の渡邉直樹氏が中心となり、紙芝居等を使い、コミュニティ・レベルで自殺防止運動を行っています。その運動は、紙芝居による自殺防止の啓蒙だけではなく、地域の人々が自ら運動に参加することによって、人々の結束を再構築する機能があり、それが更に自殺防止に役立つというもので、大いに期待できるものでした。
 しかし、取材を通してぼくの心に残ったのは、腹立たしさでした。渡邉氏の活動への腹立たしさではありません。東北地方に多い自殺の原因を、東北人の性格特性(閉鎖性、木訥、人見知り、見栄っ張り、他)に結びつける今の日本の風潮でした。東北地方の人々は、独自の性格特性で数百年、その土地、その風土の中で生きてきたのです。それは欠点ではなく個性であるはずです。「自然と共存しながら生きてきた日本人の、環境を受容しようとする意志と力」そう呼んでいいと思います。
 問題の本質は、人々を自殺に追い込む環境因子にあるはずです。政府は、自殺の原因をうつ病とし、うつ防止のキャンペーンを謳っています。もちろん自殺の直接原因はうつかも知れません。しかし、問題の本質は人々を鬱へと導く環境要因にあるはずです。
 東北で生活をする様々な方からお話しをうかがって感じたのは、構造改革、規制緩和、自由競争により、いかに庶民の生活が苦しくなっているかということでした。具体例を言えば、大規模小売店舗法の廃止、労働者派遣法、労働基準法、雇用保険法の改正、米政策改革などです。大企業のみが繁栄、安定し、その外にいる者の生活は困窮していく。これは現在の日本全体が直面している問題です。しかし地方にはそれに対する抵抗の手だてが、東京ほど多くないのが現実です。
 取材を通して、現在の日本の自殺問題の原因を、ぼくはそうとらえました。そして、腹立たしさを感じたのです。問題の本質をごまかし、原因を鬱や、東北の人たちの性格特性にすり替えているからです。


○番楽との出会い
 ぼくの頭から、自殺に関するドキュメンタリー映画を作ろうというアイデアは、少しずつ薄れていきました。それよりも、東北の人たちと、“生きること”についての映画が作れないか? その土地、風土で生きる人々の魂を伝える作品が作れないか? そんな強い衝動に駆られていました。
 自殺を伝えるのではなく、生きることを伝えたい。そうすることが一番、多くの人の役立つのではないか?
 実は、心理、精神医学を題材とするドキュメンタリー映画を作る以前から、ぼくは、ダンスに関する作品を作っていました、中でもコミュニティの中で作られるダンスや民俗芸能に魅力を感じ、記録・作品化してきました。ダンスや民俗芸能は、その風土で生きる人々の魂を凝縮し、形にしたもので、時代を越えて人の胸を打つものです。
 自殺の取材の際に、ぼくは秋田の番楽を知り、お盆の時期に再度足を運びました。鳥海山日立舞、屋敷番楽、冬師番楽の3つを拝見しました。実際にこの目で見る番楽はぼくの先入観を裏切るものでした。ぼくは東北における神楽である番楽を、儀式的な、神事に近いものと勝手に思い込んでいました。しかし、拝見すると観客を楽しませることを考慮に入れた、実に明るく、楽しいものでした。いい意味で泥臭く、その風土で生きること、生活の様子、喜び、願い、が見事に舞踊に凝縮され、ぼくの胸を打ちました。それは、農耕民族である日本人の魂の原風景と言ってもいいでしょう。
 また、番楽終了後の宴席にも出席させていただき、実際に番楽に関わる方々から率直なお話しもうかがいました。
 番楽の芸能の部分だけ継承していくのは可能だが、それでは集落単位で行われていた番楽本来の姿が継承されない。しかし、今の集落が昔の集落と同じかと言えば、変わってきてしまっている。継承者の問題、番楽の集落の中においての役割、必要性に関するジレンマは、人ごとではないように感じました。日本人の生活様式が変わる中、日本の至る所で、いろいろなコミュニティの中で、伝統芸能のみならず、類似する問題が多く起きているのではないでしょうか?
 番楽継承者たちの番楽への愛は深く、それが今の番楽を支えている。そう感じました。


○番楽に関するドキュメンタリー映画を作りたい
 以上のような経緯から、今のぼくは番楽に関するドキュメンタリー映画作りたいと考えています。
現代という繁栄は、人間に自由と豐かさを与えました。そして人間は今も、更なる繁栄を求めて、あの手この手を繰り返しています。しかし、あの手この手の先にあるのは、経済的繁栄や権力の向上。人はただ自分の権利ばかりを捜し求めている始末です。あの手この手の豐かさの代償は、人間を本質から疎外し、さらに人間を自然からも疎外しているように思えます。そしてそんな時代風潮の被害を最初に被るのは、地方であり、文化なのでしょう。
 番楽が、悲惨な社会情況に対する「祈り」から出発したのであれば、現代の日本にも「番楽」の存在理由は大いにあるはずです。癒しや呪術的なことを求めるのではなく、その土地の風土と、そこに生きる人々の生活、人と人との繋がり、そしてそれらと芸能の関係をドキュメンタリー映画を通して見つめることによって、今のこの時代を生きる私たちに必要な、大切な何かが見出せるのではないか? 芸能としての番楽の映像記録だけに留まらず、ドキュメンタリー映画自体が、現代における番楽になればいい。秋田の小さな集落から現代日本に伝える、静かだけど力強いメッセージになればと願ってやみません。



完成に寄せて


2011年5月
「長靴をはいた獅子たち」
監督 野中 剛

 長きに渡り、ドキュメンタリー映画「長靴をはいた獅子たち」製作へのご支援、ご協力、誠にありがとうございました。2011年4月、ようやく作品が完成いたしました。
作品が完成したと同時に、東日本大震災と福島原発事故が発生したことは、実に皮肉な巡り合わせでした。ご存知の通り「屋敷番楽」は、江戸時代、浅間山の噴火と天明の飢饉による被害を鎮めるために始まった芸能です。そして約200年後の今、私たちは 再び大きな天災と人災による悲劇に見舞われています。今また「番楽」の必要性が問われているのでしょう。
「長靴をはいた獅子たち」は、過疎化問題、農業問題、伝統芸能の継承問題など、大きな問題意識や理念を掲げて制作した作品ではありません。しかし作品の隙間からは、それらの問題、つまり現代日本の抱える問題が、自然と浮き彫りにされているかと思います。愉快な雰囲気の中にも、日本人にとって近代とは何だったのか? 今後、日本人はどう生きるべきか? そんなことを静かに問いかける作品に仕上がっていると自負しております。

 「自分さえよければいい、自分の会社さえ儲かればいい、自分の国さえよければいい、自分が生きてる時代さえよければいい、人間さえよければいい」
 近年の日本は、そんな利己主義的ムードが強まっているように思えるのは僕だけでしょうか? 特に経済という形にそんな歪みが顕著に現れているように思います。「経済」という名の、社会的に公認された価値に人間の「利己主義」がすり替えられ、正当化されてしまっているようにさえ思えます。
 編集終了後、屋敷集落で関係者向けの試写会を行いました。画面に蛇やとんぼ、蜘蛛や蛙などが現れる度に、集落の方々から「ああっ」「おおっ」という静かな歓声が上がりました。それはまるで、愛する我が子が画面に現れたかのような歓声でした。僕はそれが凄く嬉しくて仕方がなかった。そして、何か大きな「解答」をもらったような気がしました。利己的になってしまった魂。その救済の“鍵”が、集落の方々の静かな歓声の中にあるように思えました。

 2時間25分という上映時間は、劇場興行には向かない長さかもしれません。最近のテンポの早い映像作品ばかりに見慣れた観客には、忍耐を必要とする長さかもしれません。しかし、この映画のゆっくりとしたリズムにしばし身を委ね、屋敷集落に流れる時間、人、自然をじっくり味わっていただければ嬉しく思います。

 昨今、ドキュメンタリー映画とは何か? ということが多く論議されています。意義のある議論ではあると思います。が、僕は、そのことを眼目において映画を作ることにあまり興味がありません。方法論を眼目にしたいとも思いません。それぞれの監督が、その人にしかできない作品を作ればいい。ただそう思います。
“市井の人々の生活、生、人生を、映画によって神話化すること”
 それが映画監督としての僕の役割、責務だと、「長靴をはいた獅子たち」を完成させて、つくづく痛感しています。

 作品は今 産声を上げたばかりです。これからは監督の手を離れ、観客である皆様に育てていただきたいと思っています。今後上映会の輪が広がりますよう、ご協力の程、どうぞよろしくお願いいたします。
この作品が、混乱した今の時代を鎮める、祈りと希望になればと切に願います。
理屈はともかく、まずは作品の中で、愛すべき屋敷集落の人たちに出会ってみてください。
どうぞ作品をお楽しみください。




ドキュメンタリー映画「長靴をはいた獅子たち」を、
あなたの地域で上映して見ませんか?
上映会を通して、地域における芸能や文化の伝承、人と人とのつながり、
これからのコミュニティのあり方について、多くの人で考える機会になれば幸いです。
皆様の手で、ぜひ上映会の輪を広げてください。


上映には3つの方法があります。

1)入場料金 無料の上映会
2)入場料金 有料の上映会
   3)おひねり上映会      



詳細はこちらをご覧ください。>>>「上映方法」


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