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ヒルデ・ホルガー

 


ヒルデ・ホルガーの
コンテンポラリー・ダンス教室

    伝説の表現主義ダンサー、振付家、ヒルデ・ホルガーのダンス教室。
   その斬新で自由なダンスは、時代を超えて衰えることを知りません。





解説



2001年、惜しまれつつも95才でこの世を去ったヒルデ・ホルガー。10代でオーストリア  モダンダンス界にデビューした彼女は、表現主義のダンサー、振付家として、一代センセーションを巻き起こしました。
  そんな矢先、第二次世界大戦が勃発します。ユダヤ人である彼女は、かろうじてインドへ亡命します。しかし彼女の家族は全員強制収容に送られ、殺されてしまいます。
  インドの生活で、ヒルデはインド文化から強い影響を受けます。人々の生活、人情、彫刻、絵画、舞踊などの文化・・・。彼女はインドでも踊り続け、ダンス教室を主催します。
  しかし戦後、イギリスがインドから撤退すると、インドでは内戦が激化します。ヒルデは、インド内戦から逃れイギリスへと亡命します。イギリスでヒルダは、ダンス・カンパニーを主催し、教会での公演など、当時のダンス・シーンにセンセーショナルな公演を発表し続けます。 
 リンゼイ・ケンプやヴォルフガング・シュタンゲなど、数多い優れた振付家、舞踊教育家が、ロンドン時代の彼女から育っていきます。

  時代に翻弄された悲劇的な人生を送りながらも、彼女のダンス作品、ダンスレッスンは、人間や自然への愛で満ちあふれています。
 「ヒルデ・ホルガーのコンテンポラリー・ダンス教室」(註1)は、彼女の人生、振付作品の映像を織り交ぜながら、1999年に行われたダンスレッスンを紹介するものです。
  型の反復をするクラシックバレエのレッスンとは違い、彼女のレッスンは動物の動きを真似ることから始まります 。基礎をおさえながらも、斬新で自由なダンス。
 機械的に踊るクラシック・バレエとは違い、表現主義のダンスは頭脳を使うことを彼女は強調します。しかし同時に彼女は、身体と精神が自然であることを、ダンス芸術の最終目標とします。
  目をキラキラと輝かせ、激を飛ばす彼女の姿からは、芸術と、生きとし生けるものへの限りない愛情が感じられます。


【脚註】
註1:「ヒルデ・ホルガーのコンテンポラリー・ダンス教室」は、旧題名「ワンデイ・アット・ヒルダズ・クラス ヒルダ・ホルガーのダンス教室」の新題名です。作品内容は同じです。





ヒルデ・ホルガーヒルデ・ホルガー

(1905~2001)



1905年 オーストリア=ハンガリー帝国・ウィーン生まれ。
子どもの頃からダンスに親しみ、18歳の時に自作振付作品「鱒」を発表。ウィーン・ダンス界にセンセーションを巻き起こす。王立アカデミーでダンスを学び、ゲルトルート・ボーデンワイザーに師事。卒業後はゲルトルート・ボーデンワイザーのダンス・カンパニーに所属し、公演で世界中をまわる。
第二次世界大戦が勃発すると、ユダヤ人であったため、インドに亡命。他の家族はすべて強制収容所で亡くなった。
ヒルデは、インド、ボンベイでもダンスを続け、自身のカンパニーとダンス・スクールを設立。逆境をもろともせず、創作活動を続けた。また、インド人医師と結婚。
戦後、インド内戦が激化したことをきっかけにイギリスに移住。自身のダンス・カンパニーとダンス・スクールを設立。数々の作品を発表する。同カンパニーとスクールで、リンゼイ・ケンプやヴォルフガング・シュタンゲなどの才能を育てた。
亡くなる直前まで、ロンドン・カムデン・タウンにある、自宅兼ダンス・スタジオにて、熱心にダンスを教える。その貴重な様子がドキュメンタリー「ヒルダ・ホルガーのダンス教室」に収められている。
2001年 他界。

 



Photo



ウィーン時代

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ボンベイ時代

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ロンドン時代

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ヒルデ・ホルガーについて

リンゼイ・ケンプ

(ダンサー、振付家)


ロンドンに来た17歳の時、私は希望に満ち溢れていましたが、お金がありませんでした。そんな時、私にダンスの機会を与えてくれた人がヒルデ・ホルガーでした。
当時 主な舞踊学校は、私のやり方、表現方法にとても懐疑的でした。ダンスの基礎が欠けているとみなしたのでしょう。しかし、ヒルデ・ホルガーは違いました。そんなことから自由でした。彼女は私に援助と励ましを与え続けてくれました。
彼女の寛容さ、芸術的才能、文化的蓄積と熱意は、私にとっての活力源でした。
彼女を通して、私は尽きることのないインスピレーションとその基礎を学びました...ダンス、音楽、デザインに対する私の理解を深められたのです。彼女のダンス・カンパニーで踊ることで、私は実に多くのことを学びました。
さらに素晴らしかったのは、私は彼女の援助と監修の下、最初のダンス作品を作れたということです。私がアーティストであるということを、彼女は私に理解させてくれたのです。
過去40年間、彼女の下でダンスを学んだ多くのダンサーがそうであるように、ヒルデ・ホルガーがいなかったら、今の自分はないし、存在すらしていなかったでしょう。
彼女が私に与えてくれたもの、そのすべてに心から感謝します。



リンゼイ・ケンプ



リンゼイ・ケンプ

(1938〜2018)

  

1938年、イギリス・リバプール生まれ
ブラッドフォード芸術カレッジにて絵画と舞台美術を学ぶ。
1958~1965の間、ヒルデ・ホルガー・モダン・バレエ・グループに所属。1960年代初頭に自身のカンパニー、「リンゼイ・ケンプ&co」を設立。
1968年にエジンバラ・フェスティバルに参加して脚光を浴びる。
以降、ダンサー、振付家、俳優として多岐にわたる活動を続ける。
2018年 他界。
主要な作品:「フラワーズ」「サロメ」「カインの朝」「ナイトウォーカー」など。


 



内容

 

基礎から自由な表現へ

ヒルデ・ホルガーのダンスレッスンは、バレエ・バーを使った、クラシックバレエの基礎レッスンから始まります。ヒルダ「私のモットーは自由。でもテクニックがその基礎にあること。まず正しい型を身につける。その後で自由に踊るんです・・・」

ヒルデ・ホルガー

自然こそアイデアの源泉

ヒルデ「自然こそが、私のアイデアの源泉・・・。自然ほど刺激的なのはないわ。生き物のもつ美しい動き。生き物からのみ学ぶことがある。つまりそれは自然そのものの動き。余計なものなどないの・・・」

ヒルデ・ホルガー

鳥、カエル、ヘビ、鹿・・・、 動物の動きを真似することが、ダンスに変容していきます。

ヒルデ・ホルガー

自分らしさを出しなさい

ヒルデ「王立アカデミーでゲルトルート・ボーデンワイザーに出会い、彼女の優れた指導のもとで、練習を重ねたわ。先生の良い点は、生徒に自分の方法を押しつけないところ。彼女は生徒の自発性を重んじたの。彼女を見習い、私も生徒には、ただ一言、『自分らしさを出しなさい』 それが創造性を伸ばすのよ・・・」

ヒルデ・ホルガー

 床に並べられた棒。 自由な動きでその上を通過していきます。
 先頭の人の動きを後の人がまね、気がつくと、
 美しい群舞になっています

ヒルデ・ホルガー

ヒルデ「ウィーンでの初舞台は大評判でした。私は18才にして全演目を踊ったの。曲はシューベルトの『鱒』。信じられないほどの拍手喝采だった。そしたらアカデミーの校長が『小魚一匹にこの大騒ぎ』なんて言うから、私も言い返したの『魚には魚独特の美しい動きがあるの』ってね。

ヒルデ・ホルガー








ヒルデ・ホルガー振付作品「鱒」

ヒトラーを逃れインドへ

ヒルデ「私の人生、それは悲劇そのもの。ヒトラーのことはご存じね。災難を逃れたのは家族で私だけだった。友人の住むインドに亡命したの。でも家族は私以外全員収容所で殺された。だから私は独裁が嫌い」

ヒルデ・ホルガー

フラフープを使ってそれぞれ自由に動きます。
 違った動きが重複されることによって、何気ない個人の動きが、
 ダイナミックな集団の動き、ダンスに変わっていきます。

ヒルデ・ホルガー

インドからの影響

ヒルデ「インドには感化されました。何よりみんな温かかった。特に貧しい人たち。物乞いの人たちがいて、私には施すお金がなかった。一切合財ヒトラーに没収されていたから。それを知ると彼らは驚いたことに、一文無しの私を昼食に招いてくれたの。賤民どころか素晴らしい人々! インドには本当に影響を受けたわ。インドの民族舞踊はそれは見事なものよ。ところが驚いたことに、現地の生徒の多くが、西洋のバレエを習いたがった。立派な伝統を持ちながら、なぜ見捨てるの? 伝統を大事になさい。バレエなどに目移りせずに。それは異質なもの。体つきから何から違う。ウダイ・シャンカールを見習えとね」

ヒルデ・ホルガー








ヒルデ・ホルガー振付作品
「アプサラス」

混乱のインド

ヒルデ「1948年にイギリスがインドから撤退すると、イスラム・ヒンズー両教徒が紛争を始めたの。その酷たらしさはヒトラーと一緒。血が流されるのはもういや、ヨーロッパに戻ろう。ここを離れよう。血で血を洗う光景には、これ以上耐えられない。非人間的なものはすべて、私は大嫌い。何よりも大切なのは人間性なのに。頭だけで解決しようとするからいけないの」

ヒルデ・ホルガー

バケツを使ったソロ・ダンス。
何気ない日用品と戯れ、ダンスを作っていきます

ヒルデ・ホルガー

表現主義のダンスとは

ヒルデ「クラシックは足をバタバタさせるだけで、頭がお留守。私のダンスは、まさに革新的だった。意味を秘めてるの。その点、クラシックはうわべだけ。ポーズばかり。『表現主義とは何』って訊かれて答えたの。クラシックは腰から下だけで踊るけど、私たちは、足・腰・肩ときて、さらには頭を使うんだとね。それが表現主義のダンスなのよ」

ヒルデ・ホルガー







ヒルデ・ホルガー振付作品
「フープ」

魂がこもっていればいい

ヒルデ「頭でっかちな芸術家が時おりいるけど、心がこもってなければだめ。人間味がなきゃ。私はその草分け。イギリスに来た当初は、クラシックばかりがありがたらがれて、それ以外はダンスじゃなかったの。教会で踊った時にも『教会で踊るの?』と訊かれ、踊るのも祈り 歌うのと同じことよ。そこに意味があり、魂がこもっていればいいの、と答えたわ」

ヒルデ・ホルガー






ヒルデ・ホルガー振付作品
「バウハウス」

前へ 前へ!

ヒルデ「初歩クラスでもマスタークラスでも、優秀な生徒でも並の生徒でも、常に新しいことをやる。反復しつつも先へと進む。ゴールはないの。どこまでも先へ。音を上げる生徒もいるけど、どうせ来たなら、何か見つけて帰って欲しい。同じ所にとどまってちゃダメ。常にもっと先へ。立ち止まっちゃダメ! 前へ 前へ!」

ヒルデ・ホルガー

自分が自分らしく自然であること

ヒルデ「生きていくのに大切なのわね。自分が自分らしく自然であること。私はそう思うの。惹きつけるものがあれば何でも私はダンスにするわ」

ヒルデ・ホルガー


クレジット



出演:ヒルデ・ホルガー、ヴォルフガング・シュタンゲ他
制作:有限会社ランドスケープ
撮影:野中 剛
監督:野中 剛
<日本語字幕>
カラー / モノラル / 57分
2000年度作品